これまで、このブログでは、京都にある幕末、明治維新の史跡を多く紹介してきました。
数年前に書いたものは、ブログの奥底へと沈んでしまい、探すのが一苦労といった状態。
なので、幕末・明治維新の史跡を紹介した記事だけをまとめておきました。今後、追加する幕末や明治維新に関連した記事もこのページからリンクを貼る予定です。
ペリー来航から安政の大獄まで
- 岩瀬忠震が宿所とした瑞泉寺
- 京都での安政の大獄の拠点・間部詮勝寓居跡
- 葉山観音にある梅田雲浜の旧跡
- 車道を向いて立つ梅田雲浜邸跡の石碑
- 松平春嶽の京都の拠点・福井藩邸跡
- 西郷隆盛の幕政改革の史跡・清閑寺
- 安政の大獄で捕縛され六角獄舎で亡くなった近藤正慎の石碑・清水寺
桜田門外の変から蛤御門の変まで
- 村山たか所縁の金福寺と圓光寺
- 寺田屋事件殉難者が眠るお寺・大黒寺
- 大黒寺の伏見寺田屋殉難九烈士の墓
- 攘夷実行の方法が検討された翠紅館
- 三条河原にさらされた足利将軍の木像の首
- 孝明天皇の賀茂行幸。その時沿道から・・・
- 石清水行幸で一橋慶喜が孝明天皇から節刀を受けなかったのはなぜ?
- 猿に見られたテロ事件・猿ヶ辻の変
- 本圀寺事件はもう1日思案すれば起こらなかった?
- 七卿落ちの密議が行われた妙法院
- 吉村寅太郎と天誅組の暴走
- 生野の変の重要人物が眠る竹林寺
- 2ヶ所にある佐久間象山遭難の碑
- 蛤御門の名前の由来
- 8回目の焼失は蛤御門の変のとばっちり・天龍寺
- 天王山の山頂にある十七烈士の墓
- 幕末の長州藩士と薩摩藩士の墓・相国寺
- 蛤御門の変で長州藩が付けた刀傷が残る本堂・弘源寺
- 久坂玄瑞自刃の地・鷹司邸跡
- 八月十八日の政変から蛤御門の変までのまとめ
第1次長州征伐から王政復古まで
戊辰戦争
- 武家政治の確立と終焉の地・鳥羽
- 鳥羽伏見の戦いの史跡
- 東福寺の維新戦役忠魂碑
- 即宗院の薩摩藩士東征戦亡之碑
- 会津藩と新撰組がたてこもった伏見奉行所
- 伏見の会津藩駐屯地跡と土佐藩邸跡
- 鳥羽伏見の戦いで野戦病院になった長円寺
- 明治維新の総仕上げをした大村益次郎
会津藩
- 金戒光明寺と会津藩
- 松平容保が宿所とした清浄華院
- 松平容保が仮宿舎とした凝華洞跡
- 会津藩士柴司の切腹に発展した明保野亭事件
- 野ざらしとなった会津藩士の遺体を埋葬した上坂仙吉
- 山本覚馬の邸宅は吉田稔麿が討死した場所近くにあった
新撰組
- 新撰組誕生の瞬間を見届けた新徳寺
- 新撰組結成の地・八木邸
- 局長なのに粛清された新見錦と芹沢鴨
- 池田屋事件はここから始まった・古高俊太郎邸跡
- 池田屋事件の跡地は今どうなっているのか?
- 三条大橋の擬宝珠の刀傷は池田屋事件の時のもの
- 池田屋事件でとばっちりを受けた人々
- 新撰組を脱走した山南敬助が眠る光縁寺
- 第2の新撰組屯所・西本願寺
- 新撰組と土佐藩士が乱闘になった三条制札事件
- 新撰組最後の屯所
- 新撰組不動堂村屯所跡の新しい石碑
- 伊東甲子太郎ともうひとつの新撰組・御陵衛士屯所跡
- 御陵衛士の間者の粛清・京都守護職屋敷跡
- 大規模な新撰組の内部紛争・油小路の変の跡地
- 幕末の冤罪事件・天満屋騒動
- 近藤勇も参拝した藤森神社
- 近藤勇を狙撃せよ
- 魚三楼に残る鳥羽伏見の戦いの弾痕
- 近藤勇の首がさらされた三条河原
- 新撰組と壬生塚
長州藩
土佐藩と坂本竜馬
- 祇園で交わされた薩土討幕の密約
- 大政奉還に貢献した後藤象二郎の寓居跡
- 木屋町にある坂本竜馬の妻・お竜の寓居跡
- 坂本竜馬とお竜の出会いの地
- 坂本竜馬危機一髪・寺田屋
- 寺田屋で襲撃を受けた坂本竜馬が避難した材木小屋跡の石碑
- 坂本竜馬と中岡慎太郎の最期の地・近江屋跡
- 坂本竜馬はなぜ近江屋で暗殺されたのか?
- 近江屋跡に坂本竜馬の肖像が出現
- 土佐四天王は革命家なのかテロリストなのか?
- 京阪電車で楽しむ坂本竜馬のスタンプラリー
水戸藩
京都霊山護国神社
- 京都霊山護国神社が創建されることになった霊山に建つ霊明神社
- 鳥取藩殉難者を祀る鳥取藩招魂社・京都霊山護国神社
- 天誅組の墓碑・京都霊山護国神社
- 池田屋事件殉難者の墓碑・京都霊山護国神社
- 禁門の変殉難者の墓碑・京都霊山護国神社
- 坂本竜馬と中岡慎太郎が眺めている京都市街・京都霊山護国神社
- 大村益次郎の墓碑・京都霊山護国神社
- 桂小五郎と幾松の墓・京都霊山護国神社
京都御苑とその周辺