
淀城跡公園で咲き続けるハス・2025年
8月中旬に京都市伏見区の与杼神社に参拝した後、隣接する淀城跡公園を歩きました。 その名からもわかるように淀城の跡地に造られた公園で、今も、石垣や堀があり、かつての面影を残しています。
8月中旬に京都市伏見区の与杼神社に参拝した後、隣接する淀城跡公園を歩きました。 その名からもわかるように淀城の跡地に造られた公園で、今も、石垣や堀があり、かつての面影を残しています。
8月中旬。 京都市伏見区の与杼神社(よどじんじゃ)に参拝しました。 お盆が過ぎ、夏は終わりに向かっているはずですが、日中はまだまだ歩き廻れるような気温ではないため、夕方に訪れました。
8月16日。 お盆に迎えた先祖の例であるお精霊さん(おしょらいさん)を送る五山送り火が行われました。 五山送り火の起源はよくわからないものの、現在は京都のお盆の行事として定着しています。 今年は、京都府八幡市の男山の山頂に鎮座する石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の展望台から五山送り火を見てきました。
京都に都が遷されたのは延暦13年(794年)です。 でも、平安時代から現代までずっと残っている建物は少ないです。 その少ない平安時代から残る建物ですが、京都の南の伏見区と宇治市に行けば見られます。 醍醐寺、平等院、宇治上神社には、約1000年前に建立された建物が現存しています。
鴨川に沿って北から南に流れる高瀬川は角倉了以によって開削され、江戸時代の京都の物流を支える重要な運河として機能しました。 しかし、京都の近代化に伴い舟運は廃れていき、高瀬川の存在意義も次第に失われていきます。 大正時代には、舟運が終了し高瀬川が利用されなくなり、もはや不必要な運河となりました。 でも、高瀬川は現在まで存続し、その北端には江戸時代の景観を今に伝える一之船入(いちのふないり)も残っています。
天正9年(1581年)2月28日に織田信長が京都で馬揃えを行いました。 馬揃えは、当時の軍事パレードで、織田信長が自身の軍隊を正親町天皇(おおぎまちてんのう)に披露するために行われたものです。 場所は、禁裏の東だったということですから、現在の京都御所の東で馬揃えが行われたようです。
8月6日の夕方に京都市左京区の宗忠神社に参拝した後、同じ吉田山に鎮座する吉田神社にも参拝しました。 吉田神社と言えば、節分祭がとても盛り上がり、その時は多くの参拝者で賑わいますが、それ以外はほとんど混雑しません。 特に夏は京都を訪れる旅行者や観光客が減るので、吉田神社も閑散としたものです。
8月6日の夕方に京都市左京区の平安神宮に七夕風鈴まつりを見に行った後、北東に約15分歩き、宗忠神社(むねただじんじゃ)に参拝しました。 宗忠神社は、東側の石段の両脇に桜が植えられていて、春になるとお花見で訪れる人で賑わいますが、それでも他の桜の名所より少なめです。 桜の季節でも、混雑しないことから、夏の夕方の境内は閑散としたものです。
8月6日の夕方。 京都市左京区の平安神宮に参拝しました。 平安神宮では、6月21日から8月31日まで、七夕風鈴まつりが開催されています。 夏の京都は非常に暑いですが、風鈴の音色を聞くと気持ちは涼しくなりますね。
8月6日の夕方に京都市左京区の吉田神社に参拝した後、西に約25分歩き下鴨神社にも参拝しました。 この日は立秋の前日で、下鴨神社では、夏越神事(なごしのしんじ)が催されます。 今回の参拝は、その夏越神事を見ることが目的であります。