かつて治水神が祀られていた鴨川

今は、京都らしさの象徴の一つとして観光客から人気の鴨川。 穏やかな流れは、忙しない日々を送る現代人には癒しの風景であり、ただ眺めているだけでストレスが和らぐ人もいるのでは。 でも、その鴨川。 昔は、大雨になると周囲に大きな被害をもたらし、京都に住む者に多大な不安を与えていました。 そういうこともあり、かつての鴨川には、洪水から人々を守るため、治水神が祀られていたと伝えられています。

規模が縮小した神泉苑と嵯峨天皇の離宮の園池を引き継いだ大覚寺の大沢池

京都には、少ないながらも、平安時代初期に造営された庭園が残っています。 この頃の庭園は、禁苑、すなわち、宮中の庭園として、天皇の離宮や院御所に造営されました。 庭園には、大きな池が配されているのが特徴的で、桓武天皇の神泉苑や嵯峨天皇の嵯峨院、朱雀院などが知られています。 この中で現存している庭園は、神泉苑と現在は大覚寺となっている嵯峨院です。

扇屋が軒を連ねた五条大橋たもとにたたずむ扇塚

夏の暑さを乗り切るために冷房は欠かせない存在になっていますが、それがなかった時代は、うちわや扇子でパタパタと仰ぎ、体に涼風を送るのが当たり前でした。 現代でも、夏場にうちわや扇子を仰ぎながら歩いている人をよく見かけます。 特に京都は、扇子を扱っているお店がいくつもあるためか、他の地域より扇子の割合が高いように感じられます。 その扇子、かつては五条大橋のたもとで、たくさん作られていたという。

下鴨神社の印納社は古くなったハンコを埋納してくれる

日本国内には、変わった願い事を叶えてくれたり、珍しいご利益を授けてくれたりする神さまを祀る神社がいくつもあります。 京都市左京区の下鴨神社の境内に建つ印納社(いんのうのやしろ/いんのうしゃ)も、そういった神社の一つ。 印はハンコのことですから、印納社は、古くなったハンコを納める社だということが、その名からわかるかと思います。 下鴨神社の説明書にも、「古印を納め御守護を仰ぐお社」と記されています。

浅くて船が通れない白川にまつわることわざ

滋賀県大津市から京都市の鴨川まで流れている白川は、とても浅い川で船が通れません。 川沿いに住んでいる人は、普段から目にしていますし、なんなら足を浸けたこともあるでしょうから、船が使える川ではないとわかっています。 でも、白川を見たことがない人だと、それなりに水深がある川だと想像し、船も浮かぶものだと思っているかもしれません。

堀出シ町は花の御所の堀が由来

京都市上京区に堀出シ町(ほりだしちょう)という地名があります。 何やら買い物をすると、お手頃価格で良い品が手に入りそうに思えますが、掘り出し物を見つけられるという意味で名づけられたのではありません。 そもそも「堀」の字が違いますし。 かつて、この辺りは、室町幕府の花の御所があり、それが堀出シ町の由来と伝わっています。

晩夏の淀城跡公園にハスを見に行った・2026年

8月末。 京都市伏見区の淀城跡公園を訪れました。 淀城跡公園には、今も堀が残り、その中にハスが植わっています。 この堀で発見された淀姫という品種で、毎年9月初旬まで花を咲かす花期の長いハスです。 ハスは、8月上旬頃に見ごろを終えるものが多く、夏が終わろうとするこの時期まで見られる淀姫は珍しいですね。

二帖半敷町は五条寺を分割したのが由来

京都市下京区の四条烏丸の交差点から烏丸通を南に200メートルほど歩いた場所は、二帖半敷町(にじょうはんじきちょう)という町。 しかし、二帖半敷町を町名で呼ぶ人はまれ。 いや、二帖半敷町以外も、町名で呼ばれることが少ないのが京都の特徴です。 だいたい南北の通りと東西の通りで、その場所を指すことが多く、北は綾小路通、南は仏光寺通に挟まれた二帖半敷町は、烏丸通綾小路下ルや烏丸通仏光寺上ルなどという方が馴染みがあります。 その二帖半敷町ですが、町名の由来は五条寺にあると伝えられています。