京都に関係する人物一覧

廬山寺にある慶光天皇陵

京都市上京区に廬山寺(ろざんじ)というお寺があります。 廬山寺の境内の東には、光格天皇の父である慶光天皇(きょうこうてんのう)の陵があります。 光格天皇が即位したのは江戸時代後期のこと。 光格天皇の前の天皇は後桃園天皇だったのですが、後桃園天皇には男子がいませんでした。 そのため、後桃園天皇が崩御した後は、慶光天皇の男子であった光格天皇が即位することになりました。

神経精神科教育に貢献した嶋村俊一の邸宅跡

京都の街を歩いていると、偶然、石碑を発見することがあります。 先日も、京都市上京区の新烏丸通を南に向かって歩いていると、建物の片隅に「嶋村俊一邸跡」と刻まれた石碑を発見しました。 嶋村俊一とは、聞いたことない名ですが、石碑が建立されているのですから、きっと有名な人物なのでしょう。

文子天満宮の多治比の文子像

9月中旬 。 京都市下京区の東本願寺に参拝した後、東に5分ほど歩き、文子天満宮(あやこてんまんぐう)にもお参りしました。 文子天満宮は、天満宮となっているように学問の神さまの菅原道真を祀っています。 京都だと、菅原道真を祀る神社は、上京区の北野天満宮が最も有名ですが、ここ文子天満宮は、その北野天満宮の前身にあたる神社なのです。

若き日の本居宣長が修学した地

江戸時代中期の国学者である本居宣長(もとおりのりなが)は、約35年間、古事記を研究し古事記伝を著しました。 また、彼は、源氏物語を講義する中で、「もののあはれ」こそが日本固有の情緒を表現しており、日本文学の本質だと述べたことでも有名です。 本居宣長は、伊勢松坂の出身ですが、若い時には京都に出て勉学に励んでいました。

二尊院にある吉田光由の墓

現在も、そろばんを使って計算されている方はいると思います。 そろばん教室も目にすることがありますから、電卓、パソコン、スマートフォンが発達しても、そろばんはこれからも残っていきそうな道具ですね。 そろばんの歴史は古く、紀元前からあったようで、日本には15世紀初頭には伝来していたと考えられています。 日本で、そろばんを使った算術が広まったのは江戸時代に入ってからで、吉田光由(よしだみつよし)が著した塵劫記(じんこうき)がその発展に貢献しました。

古義堂跡と伊藤仁斎のお墓

二条城から堀川通を北に少し歩くと、昔ながらの和風の建物が建っています。 その建物の前には、石碑と説明書が設置されており、近くに寄って確かめてみると、「伊藤仁斎宅(古義堂)跡並びに書庫」と書かれていました。 そう、ここは江戸時代の漢学者・伊藤仁斎の住宅「古義堂」があった地です。

熊野若王子神社の近くにある東方斎・荒尾精先生の碑

明治維新の原動力となったのは、イギリスと清国との間に起こったアヘン戦争でした。 アヘン戦争ではイギリスが勝利し、清国はイギリスの言いなりとなります。 このままでは、日本もイギリスなどの西洋諸国に侵略されてしまうという危機感が国内で沸騰し、外国人を打ち払うべきだという主張と開国して近代化すべきだという主張がぶつかり合い、やがて明治維新を迎えました。