醍醐寺の北にある醍醐天皇後山科陵
京都市伏見区の醍醐寺から北に約10分歩いたところに醍醐天皇後山科陵(だいごてんのうのちのやましなのみささぎ)があります。 醍醐寺の上醍醐に建つ薬師堂と五大堂は、延喜7年(907年)に醍醐天皇が建立していることから、その近くに御陵があるのはうなづけます。
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京都市伏見区の醍醐寺から北に約10分歩いたところに醍醐天皇後山科陵(だいごてんのうのちのやましなのみささぎ)があります。 醍醐寺の上醍醐に建つ薬師堂と五大堂は、延喜7年(907年)に醍醐天皇が建立していることから、その近くに御陵があるのはうなづけます。
京都市左京区の百万遍(ひゃくまんべん)の交差点の北東角に浄土宗四カ本山の一つに数えられる百萬遍知恩寺が建っています。 正面には京都大学があり、街は学生で賑わう。 その百萬遍知恩寺から今出川通を東に約3分歩き、左に目をやると、ちょっとした森林が視界に入ります。 森林の前には、石造の鳥居とそれを囲む玉垣。 ここは、後二條天皇北白川陵(ごにじょうてんのうきたしらかわのみささぎ)です。
京都市左京区の神楽岡には、宗忠神社が鎮座しています。 神楽岡を東に下ったところに立つ鳥居の両脇に逆立ちする狛犬がいることで有名ですね。 その狛犬から東に進むと、左手に開けた土地が見えてきます。 ここは、第57代陽成天皇の御陵、すなわち、陽成天皇神楽岡東陵(ようぜいてんのうかぐらがおかのひがしのみささぎ)。
明治から昭和の俳人・高浜虚子は、何度も京都を訪れ俳句を読んでいます。 京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)にも参拝したことがあり、その時に読んだ俳句を刻む石碑が当院の講堂前に置かれています。
京都市右京区の桂川に架かる渡月橋を北に渡ると、お土産物屋さんや飲食店が密集し、歩道は車道に溢れ出んばかりの観光客で賑わう。 そこから北東に5分ほど歩くと、人波は途絶え、木々がうっそうと茂る一帯にたどり着きます。 ここは、第98代天皇の長慶天皇の陵墓。 正式には、長慶天皇嵯峨東陵(ちょうけいてんのうさがのひがしのみささぎ)といいます。
承久3年(1221年)に後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権である北条義時を討伐するために挙兵した承久の乱は、上皇の敗北で終わりました。 その後、上皇は隠岐に流罪となり、延応元年(1239年)に帰京かなわず彼の地で崩御しています。 ということは、後鳥羽上皇の陵墓は隠岐にあるのだろうと思いますが、実は、京都市左京区の大原にあります。 一体どういう経緯で大原に埋葬されたのでしょうか。
堀川今出川の交差点から堀川通を北に約10分歩いた右手に後花園天皇火葬塚があります。 市バス停「天神公園前」からだと北に徒歩約3分の場所。 天皇陵ではなく火葬塚となっているのが興味を引きます。
天皇家を二分して50年以上に渡る騒乱が繰り広げられた南北朝時代。 大覚寺統の後醍醐天皇が吉野に開いた南朝に対して、足利尊氏が持明院統の光厳天皇(こうごんてんのう)を擁立して開いたのが北朝。 両天皇ゆかりの史跡が、旅行者や観光客で賑わう京都市右京区の嵯峨嵐山に残っています。
京都市右京区の嵯峨野に建つ常寂光寺の東。 この付近は、小倉餡発祥の地とされ、今も開発されることなく、のどかな景色が残っています。 その北には、石造りの鳥居が立ち、見る人が見れば、すぐに天皇陵もしくは皇族関係者のお墓だと気づきます。 ここは、嵯峨天皇の第8皇女の有智子内親王(うちこないしんのう)の墳墓です。
京都を歩いていると、着物で観光している方をよく見かけます。 最近は、海外からお越しの方も着物をレンタルし、京都の街に溶け込むように観光していますね。 その中でも女性の着物は、花や葉などが染められた艶やかな意匠となっているものが多く、街中を歩いているだけで京友禅の美を楽しめます。 京友禅の技法は、その名からもわかるように京都で考案されたもの。 考案者は宮崎友禅斎で、京都市東山区の知恩院の門前に居を構えていました。