江戸時代初期に高瀬川を開削した角倉了以(すみのくらりょうい)の石碑は、京都の様々な場所に置かれています。
伏見区の濠川にある伏見みなと公園にも、角倉了以翁水利紀功碑(すみのくらりょういおうすいりきこうひ)という石碑が置かれており、春の桜の時期になると多くの旅行者や観光客の方が目にしています。
高さ3メートル以上の石碑
伏見みなと公園には、京阪電車の中書島駅から北西に約5分歩くと到着します。
こちらが、角倉了以翁水利紀功碑です。

角倉了以翁水利紀功碑
高さは、3.2メートルもあり、非常に大きな石碑です。
薄っぺらいので、風が吹くと倒れるのではないかと思うのですが、明治32年(1899年)に建立されて100年以上経過しても立ち続けていますから倒れることはないのでしょう。
角倉了以は、京都市中京区の二条から木屋町通沿いに南に向かって伏見まで高瀬川を開削しました。
それにより、江戸時代の京都の舟運が発達し、多くの物資が京都市中心部に運ばれるようになります。
江戸時代の京都の人々のほとんどが、角倉了以の功績による恩恵を受けたことでしょう。
石碑の表には、第8代京都府知事の内海忠勝の名も記されています。
そして、石碑の裏側には、漢文で角倉了以の功績がびっしりと刻まれています。
現代語訳は、以下のウェブサイトに掲載されているので、ご覧になってください。
石碑は、運漕業者有志が、角倉了以の功績を顕彰するために建立したそうです。
角倉家は江戸時代に幕府から高瀬川の管理を一任され、それにより巨富をなしましたが、明治維新になりその家業は停止されました。
そして、鉄道の敷設により舟運も衰退しましたが、高瀬川は廃されず現在も残っています。
伏見みなと公園がある濠川の両岸には、たくさんの桜が植えられており、春になると川面に映った桜の薄紅色がとてもきれいです。

宇治川派流の桜
舟運は廃れてしまいましたが、代わって、高瀬川や濠川沿いに桜を見に訪れる旅行者や観光客によって、多くの利益が京都にもたらされています。
角倉了以は、たくさんの旅行者や観光客を呼び込むことまで想像していなかったでしょうが、彼の高瀬川開削は、今もなお経済効果を発揮し続けています。