摂社でも末社でもない伏見稲荷大社の奥宮
京都市伏見区の伏見稲荷大社は、近年、海外からたくさんの旅行者が訪れるようになっています。 境内を見渡せば、旅行者の服装がまちまちなので、文化の異なる様々な国からお越しであることがわかります。 伏見稲荷大社は、千本鳥居やお山めぐりなど、見るもの、体験するものがたくさんあり、それが人気の理由と思われます。 摂社や末社も多く、それらに混ざって建つ奥宮も、伏見稲荷大社では別格とされているので参拝しておきたいですね。
観光名所、史跡、四季折々の風景を写真とともに紹介するブログ。※アフィリエイト広告を利用していますがポップアップ広告は表示されません。
京都市伏見区の伏見稲荷大社は、近年、海外からたくさんの旅行者が訪れるようになっています。 境内を見渡せば、旅行者の服装がまちまちなので、文化の異なる様々な国からお越しであることがわかります。 伏見稲荷大社は、千本鳥居やお山めぐりなど、見るもの、体験するものがたくさんあり、それが人気の理由と思われます。 摂社や末社も多く、それらに混ざって建つ奥宮も、伏見稲荷大社では別格とされているので参拝しておきたいですね。
平安時代末期。 この頃、浄土思想が広まり、その特徴を持つ浄土庭園も造営されるようになっていきました。 現存する代表的な浄土庭園は、京都の場合、宇治市の平等院で見ることができます。
8月末。 京都市伏見区の淀城跡公園を訪れました。 淀城跡公園には、今も堀が残り、その中にハスが植わっています。 この堀で発見された淀姫という品種で、毎年9月初旬まで花を咲かす花期の長いハスです。 ハスは、8月上旬頃に見ごろを終えるものが多く、夏が終わろうとするこの時期まで見られる淀姫は珍しいですね。
慶応4年(1868年)1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いは、薩摩藩と長州藩を中心とした新政府軍が、旧幕府軍を火力で圧倒します。 1月4日には、新政府軍が錦の御旗を掲げ、旧幕府軍を構成する会津藩や新撰組は、伏見の南西に位置する淀まで撤退。 そして、翌5日には、淀の千両松で新政府軍と旧幕府軍が再び戦闘を繰り広げ、当地は鳥羽伏見の戦いにおける激戦地となりました。 現在、千両松には「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれた慰霊碑が立っています。
京都市伏見区の京都競馬場付近は、かつては、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる三川合流地帯でした。 この辺りが淀と呼ばれるのも、淀川との関係を連想させます。 東には巨椋池(おぐらいけ)もあったことから、見渡す限り水が溢れかえっているような景観だったのでしょうが、現在は住宅街となっているため想像するのが難しい。 でも、街中にひっそりと立つ「淀小橋旧址」と刻まれた石碑を見ると、一帯が川に囲まれていた時代があったことを認めざるを得ません。
京都市伏見区に建つ藤森神社(ふじのもりじんじゃ)では、毎年5月5日に藤森祭が催されます。 藤森祭は、菖蒲の節句発祥の祭とされていることもあり、当社は勝運の神さまとして崇められています。 また、藤森祭では駈馬神事が行われることもあり、馬の神さまとして競馬関係者やファンの間でも人気となっています。 高齢化社会を迎えた現代日本にあって興味深いのは、祭神の舎人親王(とねりしんのう)がゲートボールの神さまとしても崇敬されていることです。
京阪電車の龍谷大前深草駅を出て南東に約10分歩くと瑞光寺(ずいこうじ)というお寺が建っています。 茅葺屋根の本堂は寂音堂(じゃくおんどう)と呼ばれ、近隣の閑静な住宅街に違和感なく溶け込んでいます。 その本堂に本尊として祀られているのが釈迦如来座像で胎内には五臓六腑が納められています。
6月3日に宇治川沿いに京都芸術花火を見に行きました。 午後7時50分から始まった花火を8時10分くらいまで立ち止まって見た後は、歩道を歩きながら角度を変えて鑑賞します。
6月3日。 京都市伏見区の京都競馬場で京都芸術花火が行われました。 前日に台風が接近し開催が危ぶまれたものの、雨は午前中に上がり予定通り午後7時50分から花火が打ち上がりました。 私は、会場には行かなかったのですが、宇治川沿いで花火を見ることができました。
4月下旬に京都市伏見区の淀城跡公園にツツジを見に行った後、南に約5分歩き、淀水路を訪れました。 淀水路には、河津桜の並木があり、毎年3月に見ごろを迎えると大勢の旅行者や観光客が国内外から押し寄せます。 桜が咲いている時期は大混雑の淀水路ですが、それ以外の季節は閑散としたもの。 新緑がきれいな今の時期も人が少なく、落ち着いて歩けます。