京都の交通一覧

ぴかぴかに蘇った三条大橋・2024年

元日に鴨川に架かる三条大橋を渡りました。 三条大橋は、2023年に工事が実施されていましたが、2024年の元日に訪れた時には工事が終わっていました。 前回の橋の補修が昭和49年(1974年)ですから、約50年ぶりに橋が更新されたことになります。 新年から、ぴかぴかになった三条大橋を渡ると、何か良いことがありそうです。

江戸時代は京都の玄関だった三条大橋

現在の京都の玄関口となっているのは、下京区の京都駅です。 国内だけでなく、海外からも京都にお越しになる人が増えていますが、京都に入る場合、ほとんどの方が京都駅を利用します。 ところで、京都駅は、昔から京都の玄関口だったのでしょうか。 実は、江戸時代には、京都駅から3kmほど北にある三条大橋が京都の玄関口でした。

伏見桃山駅の近くにある京阪バス発祥の地を示す石碑

京都市内をバスで移動する場合、市バスを利用することが多いです。 その次に利用することが多いのは、京都バスでしょうか。 京都市内には、複数のバス会社のバスが走っているので、目的の観光名所にバスで行けないことはほとんどありません。 大阪でよく走っている京阪バスも、京都市内で乗ることができますね。 この京阪バス、実は、発祥は京都市伏見区なのです。

油掛通にある電気鉄道事業発祥の地の石碑

京都市伏見区に油掛通という名の道路があります。 その名は、通りに西岸寺(さいがんじ)というお寺があり、そこに油掛地蔵が祀られていることが由来とされています。 さて、油掛通には、「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」と刻まれた石碑があります。 そう、日本での電鉄の営業は、京都市から始まったのです。

清水焼発祥の地・五条坂

京都の名産品で思い浮かべるものは何でしょうか。 西陣織がすぐに思い浮かぶ方もいらっしゃるでしょうし、京友禅だと言う方もいらっしゃるでしょう。 そして、清水焼が真っ先に思い浮かぶという方も多いかと思います。

四条通の歩道が広くなって観光客が歩きやすくなった

2014年の秋から2015年秋にかけて京都市中心部を東西に走る四条通の歩道拡幅工事が行われています。 すでに6月末時点では、部分的に歩道が広げられており、歩行者が快適に歩けるようになっています。 旅行や観光で京都に訪れた方にとって、広々とした歩道は今までよりも利便性が増し、さらに国内外からの旅行者が増えそうです。

帰ってきて欲しくない人には戻橋を通らさない

京都市上京区の堀川に一条戻橋という橋が架かっています。 この橋には、様々な伝説があります。 有名なところでは、平安時代に文章博士であった三好清行(みよしきよつら)の葬儀の行列が、戻橋を渡っているときにその子の浄蔵が紀州熊野から帰ってきて棺に泣きすがっていると、清行が一時的に蘇生して父子の対面が実現したというものがあります。 戻橋という名は、この言い伝えが由来になって付けられたものだと言われていますね。

近世の京都の物流を支えた高瀬川

2014年は、大坂冬の陣から400年目にあたります。 大坂冬の陣は、翌年に起こった夏の陣で豊臣家が亡びていることから、歴史的にみて重大事件と言えますね。 大坂冬の陣はとても有名な事件ですが、京都では、同じ年の慶長19年(1614年)に物流に革命が起こりました。 それは、高瀬川が完成したことです。

交通や旅行に関する日本初が2つある中書島駅

京都市伏見区と聞いて、連想するものってなんでしょうか? 伏見稲荷大社、伏見桃山城、酒蔵、寺田屋なんかは、伏見の名所として割と有名なので、多くの人が、これらをすぐに思いつくことでしょう。 でも、京都通の方や鉄道ファンの方なら、もしかすると京阪電車の中書島駅を真っ先に連想するかもしれませんね。

今も昔も人や物の往来が多い粟田口

昔、京都への入口のことを「口」といいました。 代表的な口が7つあったことから、これらを総称して京の七口と言ったりもします。 その中で東の入口となっていたのが粟田口(あわたぐち)です。 粟田口は、三条大橋の近くに設けられ、東海道、東山道、北陸道の三道に通じていました。