高瀬川開削375年を記念して建立された角倉了以翁顕彰碑

京都市中京区の二条から木屋町通沿いを南に向かって流れる高瀬川。

春になると、川沿いに植えられた桜が一斉に開花し、観光で訪れた人たちの目を楽しませてくれます。

その高瀬川を開削したのは、江戸時代の豪商の角倉了以(すみのくらりょうい)です。

高瀬川沿いには、角倉了以と関係する史跡が多く残っていますね。

高瀬川の開削375周年を記念して建立された角倉了以翁顕彰碑も、その一つです。

旧立誠小学校の入り口に置かれた顕彰碑

阪急電車の京都河原町駅を出て、木屋町通を北に約5分歩くと、左手に旧立誠小学校の建物が建っています。

現在は、小学校として使われていませんが、校舎はザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULICが利用しています。

その建物の入り口に角倉了以翁顕彰碑が置かれています。

角倉了以翁顕彰碑

角倉了以翁顕彰碑

ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULICが開業する前は、石でできた高瀬舟に石碑が乗せられていたのですが、現在は、整備された区画に置かれています。

中央の石碑には、「高瀬川開削三百七十五年記念 角倉了以翁顕彰碑」と刻まれ、その上の部分に鍬を持った角倉了以の胸像がはめ込まれています。

中央の石碑

中央の石碑

この石碑は、昭和60年(1985年)に建立されたもので、碑文は第23代京都市長の今川正彦さんが書いたものです。

とても威厳のある文字ですね。

右側の黒い石碑には、「高瀬川保勝會」と刻まれています。

この石碑は、本間大理石が寄贈したものです。

右側の石碑

右側の石碑

また、左側の石碑にも「高瀬川永久に○○は灯ろう流し」と刻まれていますが、「○○」の部分は達筆すぎて読めませんでした。

角倉了以が高瀬川を開削したことで、伏見港から物資を京都市中心部に運ぶのが便利になりました。

江戸時代の京都の物流を支えたのは高瀬川だったんですね。

また、高瀬川の開削にあたり、鴨川で処刑された豊臣秀次一族の菩提を弔うために創建したのが瑞泉寺というのもよく知られています。

今も、木屋町二条付近の高瀬川の北の端には、一之船入が残っており、川には高瀬舟が浮かべられていますよ。

かつては、高瀬川に多くの船入があり、大いに賑わっていたそうですが、舟運が廃れたことで、高瀬川もその役目を終えています。

春に桜を見に高瀬川を訪れた際は、角倉了以翁顕彰碑も、ぜひご覧になってください。

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