四条大橋と八坂神社のちょうど真ん中あたりを南北に花見小路通が横切っています。
四条通から花見小路通を南に曲がれば、祇園白川や清水と同じような古都の町並みが現れ、近年は外国人旅行者に大人気。
そのまま南下していくと建仁寺の北門にぶつかりますが、少し手前の東側には祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)があります。
舞妓さんや芸妓さんを見られるところですね。
その敷地内には、「八阪歌舞場碑」と刻まれた石碑が置かれています。
大正2年に新築された歌舞練場の所在地を示す
祇園甲部歌舞練場には、京阪電車の祇園四条駅から南東に約8分歩くと到着します。
花見小路通に面する正門をくぐると、左側の建物の脇に1本の桜の木が植わり、その下に八阪歌舞場碑が置かれています。

桜と八阪歌舞場碑
祇園甲部は、芸妓や舞妓が出演する公演などを行っており、その成り立ちは江戸時代の寛永年間(1624-1644年)。
祇園社(現在の八坂神社)の門前から大和大路通までの間に水茶屋などが建ったのが始まり。
寛永年間(1661-1673年)には、四条大和大路の南側に祇園外六町(そとろくちょう)という茶屋町ができ、ついで北側に祇園内六町(うちろくちょう)も生まれ、一帯は祇園新町と呼ばれるように。
明治5年(1872年)に行われた第1回京都博覧会では、初めて都をどりが附博覧として催され、翌年には四条花見小路下る西側の成住院跡に祇園甲部歌舞練場が建てられました。
その後、祇園甲部歌舞練場は、大正2年(1913年)に東側に移転しています。
八阪歌舞場碑が置かれたのは、大正6年のことで、祇園甲部歌舞練場の所在地を示すとともに大正4年の大正天皇即位大礼で、皇族や外国使節などを招いて京都市で祝宴が行われたことを記念する意味もあります。

八阪歌舞場碑の正面
石碑の正面には、縦書きにずらっと漢字が並び、一部にひびも入っていることから、なんと書いているのかわかりません。
大意はフィールドミュージアムの歌舞練場碑のページの中ほどのリンク先に記されているのでご覧ください。
弥栄会館は帝国ホテル京都に
八阪歌舞場碑の隣には、昭和11年(1936年)に大林組の木村得三郎の設計により建てられた旧弥栄会館(やさかかいかん)があります。
「旧」としたのは、令和8年(2026年)3月に帝国ホテル京都となったから。

帝国ホテル京都
和風屋根を積み重ねた7階建ての建物で、最上階には望楼が設けられたお城のようなデザイン。
京舞、文楽、雅楽、狂言、茶道、華道、琴といった伝統芸能を鑑賞できる施設ギオンコーナーもあり、京都市民や観光客らに長らく親しまれてきましたが、耐震性に問題があるということから、しばらく使用されずにいました。
そこで、再び大林組が登場。
西面と南面の外壁を残したまま解体し、ホテルとして利用できる建物を建設するという高難度の仕事に取り組んだのです。
そして、外観は以前と変わらない帝国ホテル京都がここに誕生。
この記事の1枚目の写真の左側には、旧弥栄会館が帝国ホテル京都であることを示す石板が写っています。
京都市は、常に変化していますが、街全体としては以前と変わっていないように見えます。
それは、弥栄会館の外観を残したまま帝国ホテル京都としたようなことが、街のあちこちで行われているから。
ただ古いものを残しているのではない。
雰囲気を変えないまま新しいものを取り入れる。
それが京都という街の特徴なんですね。