智積院の運敞蔵には貴重な書籍が収蔵されていた
京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)に運敞蔵(うんしょうぐら)という建物が建っています。 当院に何度もお参りに行っている人でも、運敞蔵を見たことがある人は少なそうですし、近くを通ったことがあっても気付かず素通りしている人も多そうです。 外観だけだと、ただの倉庫にしか見えないですからね。
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京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)に運敞蔵(うんしょうぐら)という建物が建っています。 当院に何度もお参りに行っている人でも、運敞蔵を見たことがある人は少なそうですし、近くを通ったことがあっても気付かず素通りしている人も多そうです。 外観だけだと、ただの倉庫にしか見えないですからね。
鴨川に架かる四条大橋は、そこにあることが当たり前になっていますが、昔は、橋が架かっていたり架かっていなかったりということが幾度もありました。 架かっていた橋がなくなる原因のほとんどは洪水。 四条大橋は何度も流失し、架け替えが繰り返されてきたのです。
明治から昭和の俳人・高浜虚子は、何度も京都を訪れ俳句を読んでいます。 京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)にも参拝したことがあり、その時に読んだ俳句を刻む石碑が当院の講堂前に置かれています。
京都市は、戦時中に空襲を受けることが少なかった都市です。 それでも、昭和20年(1945年)に入ると1月に東山の馬町が空襲を受け、その後も、右京区の太秦(うずまさ)や上京区の西陣などが被害に遭っています。 日本各地で空襲が激しくなったのを受け、昭和19年に内務省により重要施設の隧道(ずいどう)式防空壕への移転が進められ、京都でも同20年1月から府庁を防空壕に移すための工事が始まりました。 府庁の移転場所に決まったのは、東山七条の私立絵画専門学校裏の丘陵地と蹴上の都ホテルの地下でした。
今は、京都らしさの象徴の一つとして観光客から人気の鴨川。 穏やかな流れは、忙しない日々を送る現代人には癒しの風景であり、ただ眺めているだけでストレスが和らぐ人もいるのでは。 でも、その鴨川。 昔は、大雨になると周囲に大きな被害をもたらし、京都に住む者に多大な不安を与えていました。 そういうこともあり、かつての鴨川には、洪水から人々を守るため、治水神が祀られていたと伝えられています。
滋賀県大津市から京都市の鴨川まで流れている白川は、とても浅い川で船が通れません。 川沿いに住んでいる人は、普段から目にしていますし、なんなら足を浸けたこともあるでしょうから、船が使える川ではないとわかっています。 でも、白川を見たことがない人だと、それなりに水深がある川だと想像し、船も浮かぶものだと思っているかもしれません。
京都で長年親しまれてきた2つの高級ホテルが、近々、営業を終了することが発表されています。 ひとつは上京区の京都ブライトンホテル、そして、もうひとつは東山区のハイアットリージェンシー京都です。 近年、京都はオーバーツーリズムが大問題になるほど人が増えているので、宿泊施設の数も増やさないと旅行者の滞在に影響が出ます。 それなのに京都で知名度が高い両ホテルが営業終了するのには、どういう理由があるのでしょうか。
京都市東山区の知恩院と左京区の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、ともに浄土宗の本山であり、広々とした境内に豪壮な建物がいくつも建っています。 どちらも浄土宗の開祖の法然上人ゆかりの地ですが、現在の寺観になったのは江戸時代のこと。 徳川家の援助を受けて、境内が整備されたのですが、そこには、幕府の戦略的な意図があったとされています。
7月15日に八坂神社に伝統芸能奉納を見に行った後、四条通に青龍神水宵宮祇園大茶会の様子も見に行きました。 この大茶会も祇園祭の行事の一つ。 数年前から始まった新しい催しで、まだ知名度は低めです。
7月15日の夕刻。 京都市東山区の八坂神社に参拝しました。 この日は、午後3時から祇園祭の伝統芸能奉納が行われることから、それを見るのが目的です。