勅使門(ちょくしもん)。
それは、天皇の意思を伝えるための使者である勅使が出入りする門。
勅使を迎えるわけですから、勅使門を持つ寺院は皇室との関係が深いのは言うまでもありません。
そのような寺院は広い境内を有し立派なお堂が建ち並んでいることが多く、小さなお寺にはまず勅使門は建っていません。
今回の記事では、京都市内の勅使門を持つお寺をいくつか紹介します。
門跡寺院に建つ勅使門
門跡寺院(もんぜきじいん)とは、皇族関係者が代々住職を務めてきたお寺のこと。
そのため、勅使を迎えることが度々あり、多くの門跡寺院には勅使門が建っています。
大覚寺
京都市右京区に建つ大覚寺は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院(さがのいん)を貞観18年(876年)に寺に改めた門跡寺院です。
鎌倉時代後期には、後嵯峨上皇の仙洞御所(せんとうごしょ)となって嵯峨御所とも呼ばれ、後に南朝となる大覚寺統の御所となった経緯があります。
その勅使門は、石舞台を挟んだ御影堂(みえいどう)の南に建っています。

大覚寺の勅使門
「おなごりの門」とも呼ばれており、門扉には菊の御門が施され、皇室との関係の深さを物語っています。
嘉永年間(1848-1854年)再建の四脚門。
屋根は切妻造で中央に弓なりに付いているのは唐破風(からはふ)。
唐破風が付く門は唐門とも呼ばれ、勅使門に採用されることが多いですね。
天皇が通ることもあった勅使門は、普段、門が閉ざされており、これは大覚寺に限らず、多くのお寺で共通しています。
御影堂と勅使門の間は、白砂が敷き詰められ、天皇や勅使以外はここを通ってはいけないという無言の圧力を感じます。
妙法院
京都市東山区の妙法院は、天台宗の三門跡寺院の一つに数えられ、境内の南西角に勅使門が建っています。

妙法院の勅使門
唐門の別名がありますが、唐破風は付いていない桧皮葺、切妻造、平入りの四脚門。
江戸時代中期に桜町天皇が下賜したと伝わっており、明治天皇の2度の駐輦(ちゅうれん)、平成22年(2010年)3月の天皇皇后両陛下の行幸も経験。
唐門をくぐって東に進むと、左手に門跡寺院特有の気品あふれる宸殿、右手に普賢菩薩を祀る本堂が建っています。
唐門から続く参道は一般の参拝者も歩け、格式高い門跡寺院であるものの親しみを覚えます。
青蓮院
同じく東山区の青蓮院(しょうれんいん)も天台宗の三門跡寺院の一つで粟田御所(あわたごしょ)や東山御所とも呼称されています。
勅使門は神宮道に面して石段上に建つ。

青蓮院の勅使門
明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築した四脚門で、御幸門と呼ばれています。
御幸門をくぐった左前に大玄関があり、勅使はそこから入って宸殿内に進めるようになっているのがわかります。
当院が門跡寺院となったのは、平安時代後期に鳥羽天皇の皇子覚快法親王が入寺してからのこと。
仁和寺
京都市右京区に建つ仁和寺(にんなじ)は、元号を寺名とした最高位の門跡寺院で、御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれていました。
二王門をくぐって参道を少し歩いた左手に桧皮葺の屋根に唐破風が付いた四脚門が建っており、これが仁和寺の勅使門です。

仁和寺の勅使門
京都府技師の亀岡末吉の設計で大正2年(1913年)に竣工。
勅使門の奥には白書院が建ち、その間には白砂が敷かれた南庭が配されています。
白書院から見て庭は東にあるのに南庭とはなんぞや。
それは、北に建つ儀式や式典に使用される御殿の中心建物である宸殿から見て南ということ。
この南庭も、足を踏み入れてはならない威厳を感じさせます。
毘沙門堂
京都市山科区の毘沙門堂には、3ヶ所に入口があり、そのうち仁王門へと続く石段は急なのに対して勅使門へと続く石敷きの参道は緩やかな上り坂で、勅使を迎えるための配慮がなされているように見えます。

毘沙門堂の勅使門
参道の両脇はカエデが植わり、晩秋には紅葉狩りに訪れる参拝者で賑わうも、勅使門はくぐれなくなっています。
仁王門の先には本殿が建っていますが、勅使門の先には宸殿が建っています。
宸殿は東西に2棟あり、勅使門の正面に建つのは東側の建物で、玄関があるのは西側の建物。
東側の建物は御所にあった後西天皇の旧殿を公弁法親王が拝領し、元禄6年(1693年)に移築したという。
宸殿内には、狩野益信の襖絵や円山応挙の絵があり、いずれも拝観可能。
臨済宗のお寺に建つ勅使門
臨済宗の大寺院は、天皇との関係が深いところが多いためか、勅使門をよく見かけます。
その真正面には三門が建っていることが多く、それが臨済宗の大寺院の特徴の一つとも言えます。
南禅寺
京都市左京区の南禅寺には、境内の西側に勅使門があり、その正面に楼上から石川五右衛門が「絶景かな」と言ったと伝わる三門が建っています。

南禅寺の勅使門
勅使門の西は駐車場となっており、バスに遮られてよく見えないことも。
当寺の前身は亀山法皇の離宮。
それゆえ、勅使門が建っているのでしょう。
現在の勅使門は、寛永18年(1641年)に明正天皇より、御所にあった日の御門を下賜されたもの。
かつては、天皇や勅使の来山時に開かれていましたが、現在は、新たに任命された住持の晋山(しんさん)の際に開かれます。
一般の参拝者は勅使門をくぐれないものの、参道は歩け、三門もくぐれます。
相国寺
京都市上京区の京都御苑の北に建つ相国寺は、足利義満が創建したお寺。
勅使門は、南側の総門の西隣に建っており、慶長年間(1596-1615年)の再建。

相国寺の勅使門
勅使門の北には、夏にハスが咲く放生池が配され、その中央に天界橋が架かっています。
さらに北の松林はかつての三門址。
相国寺の勅使門は、くぐれないのはもちろんのこと、その近くに寄ることさえできず、ただ遠目で眺めるだけ。
建仁寺
京都市東山区の建仁寺は、南側に勅使門が建っています。

建仁寺の勅使門
鎌倉時代にお茶を日本に伝えた栄西禅師が源頼家の帰依を受けて創建したのが建仁寺の始まり。
それなら、勅使門も源頼家と関係があるのかと思いますが、この門はかつて平重盛の六波羅邸にあったもの、あるいは平敦盛の館にあったものと伝えられています。
銅板葺切妻造の四脚門は、矢が刺さった痕があり、いかにも武家の邸宅にあったものを想像させ、矢の根門や矢立門(やたちもん)の別名も持っています。
勅使門をくぐれないのはもちろんのこと、その先にある放生池の橋も渡れず、続く三門もくぐれません。
東福寺
同じく東山区の東福寺の勅使門は、南側に建つものの、西を向いているのが特徴的。

東福寺の勅使門
勅使門の隣には、一般の参拝者でも通れる六波羅門があり、こちらは南向きに建っています。
勅使門をくぐった東側に思遠池、その北に三門が建ち、他の臨済宗のお寺に見られるような勅使門から一直線の伽藍構成ではありません。
なぜ、思遠池の南に勅使門を造らなかったのかは謎。
妙心寺
京都市右京区の妙心寺も、相国寺と同じように南総門の西側に勅使門が建っています。
このような勅使門の配置は、禅宗の大寺院によく見られるとのこと。

妙心寺の勅使門
当寺は、花園上皇の離宮を寺に改めたもの。
勅使門は慶長15年(1610年)に建てられ、新住職がここをくぐって境内に入るようになっています。
勅使門の先には放生池、さらに先に三門が一直線に並ぶのは他の臨済宗のお寺と同じ。
大徳寺
京都市北区の大徳寺は、南門からまっすぐ北に進んだところに勅使門が建っています。
寛永17年(1640年)に御所の陽明門を下賜されたもの。
屋根には唐破風が付き、端には金色の装飾も見られます。

大徳寺の勅使門
勅使門の先には、朱色の金毛閣と呼ばれる三門が建っていますが、普段は近づけません。
勅使門は、高貴な人が通る門。
後ろに建つ三門もまた、勅使門をくぐった高貴な人が通る門。
その楼上に自らの像を安置した千利休は、豊臣秀吉の怒りを買い切腹を命じられたと伝えられています。
その他のお寺に建つ勅使門
門跡寺院や臨済宗の大寺院以外にも勅使門が建つお寺があります。
二尊院
京都市右京区の二尊院には、本堂の正面に唐破風付きの勅使門が建っています。

二尊院の勅使門
当寺は、承和年間(834-848年)に嵯峨天皇の勅願により慈覚大師円仁が開創したのが始まりと伝えられています。
そのため、勅使門があるのは理解できますが、他の寺院と異なり開きっぱなし。
以前からそうだったわけではなく、かつては勅使が訪れた時だけ開門されていました。
今は、参拝者なら誰でも通れるように開門しているという。
寺院参拝に慣れている人ほど、この門が勅使門だと気付くと、くぐるのをためらうのでは。
はたまた、勅使門をくぐれる機会は滅多にないからと何度も往復したくなる人もいるかもしれませんね。
以上が、これまでに私が見たことがある京都市内のお寺の勅使門です。
他にもあると思いますが、見つけられていなかったり、思い出せなかったりする勅使門があると思います。
新たに見つけたり、思い出したりした際は、この記事に追加します。