青蓮院を紹介しています。
由緒、見どころ、所在地、最寄駅などの情報を掲載。
青蓮院
由緒
青蓮院(しょうれんいん)は、天台宗の宗祖である最澄が比叡山を開く際に山上にいくつかの住坊を造ったうちのひとつで、近くに青蓮池があったことから青蓮坊と名付けられたのが始まり。天台宗。
その後、鳥羽法皇が第12代行玄(ぎょうげん)に帰依し、法皇の皇子である覚快法親王を行玄の弟子とした。
そして、現在地に殿社を移転して青蓮院と改称、皇族関係者が入寺する格式の高い門跡寺院となった。
鎌倉時代初期には、愚管抄を著した慈円が天台座主となり、また、伏見天皇の皇子である尊円法親王が入寺して大いに栄えたが、応仁の乱(1467年)によって諸堂が焼失。
豊臣秀吉が方広寺を建立した際にその経堂となり、復興されたが、後に知恩院に寺域を割譲している。
天明の大火(1788年)での皇居炎上後、後桜町上皇の仮御所となり、粟田御所とも呼ばれた。
その後、明治26年(1893年)の火災で諸堂が焼失。現在の建物の多くは、これ以降に再建されたものである。
なお、青蓮院は、三千院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院とされている。
植髪堂
境内の北に建つ植髪堂(うえがみどう)。親鸞が出家した時にそり落とした髪を彼の母が張子の親鸞の像の頭に植え付け、そばに置いていたと伝えられている。植髪堂は宝暦9年(1759年)に熱心な信徒が建てたもので、この親鸞の像が安置されている。
華頂殿
華頂殿と呼ばれる客殿(白書院)。窓からは相阿弥の庭を眺めることができる。
小御所
京都御所の小御所を移築したもの。建物内には狩野派の障壁画がある。
本堂
境内の南に建つ本堂。熾盛光堂(しじょうこうどう)とも呼ばれる。堂内には、本尊の熾盛光如来が安置されており、複製の青不動明王画像もある。
宸殿
東福門院の御所を移築した宸殿(しんでん)。主要な法要を行う建物。建物内には狩野派の障壁画がある。
四脚門
中和門院の旧殿の門を移築した四脚門。
大玄関
正式の玄関である大玄関。車寄せとも呼ばれる。中には孝明天皇が使用した輿が陳列されている。
相阿弥の庭
境内の南東にある相阿弥の庭。龍心池(りゅうしんち)、跨龍橋(こりゅうのはし)、洗心滝(せんしんのたき)が配された築山泉水式の庭。相阿弥作と伝えられている。
霧島の庭
境内の北東にある霧島の庭。小堀遠州作と伝えられている。
好文亭
庭園の奥にある好文亭。後桜町上皇も使用になった御学問所。放火によって焼失したが、平成7年(1995年)に再建された。
青蓮院の所在地
〒605-0035
京都市東山区粟田口三条坊町69-1(地図)
青蓮院への行き方
地下鉄東山駅から徒歩約7分
※拝観料600円が必要。
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