大徳寺を紹介しています。
由緒、見どころ、所在地、最寄駅などの情報を掲載。
大徳寺

由緒
大徳寺は、正和4年(1315年)に宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が赤松則村の帰依を受けて、一宇を建てたのが始まり。山号は龍宝山。臨済宗大徳寺派の大本山。
正中元年(1324年)に伽藍が建立され、花園上皇の院宣により宗峰妙超を開山とする祈願所となった。
また、後醍醐天皇からも厚い信仰を受けて朝廷の勅願道場となり、本朝無双の禅苑として、南禅寺とともに五山の第一位とされた。
しかし、室町時代に五山十刹のうち十刹の第九位に落とされ、永享3年(1431年)に五山の制から辞退、林下(りんか)として独自の宗風を築く。
その後、享徳2年(1453年)の火災や応仁の乱(1467年)によって諸堂が焼失。
応仁の乱の後に47世住持の一休宗純が堺の豪商の帰依を受けて再興した。また、一休宗純は茶道の祖・村田珠光や連歌師・柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)といった芸術家たちの帰依を受け、大徳寺は繁栄していった。
この頃に一休宗純の真珠派、陽峰宗韶(ようほうそうしょう)の龍泉派(りょうせんは)、東溪宗牧(とうけいそうぼく)の南派、古嶽宗亘(こがくそうこう)の北派の四派が生まれる。
そして、安土桃山時代には豊臣秀吉などの大名の援助を受け、江戸時代初期には現在の寺観が整えられた。
勅使門

重要文化財の勅使門。慶長年間(1596〜1615年)に建てられた御所の南門を移したものとされる。
三門(金毛閣)

重要文化財の三門(金毛閣)。応仁の乱後、享禄2年(1529年)に柴屋軒宗長が再建、天正17年(1589年)に千利休が現在の三門に造り替えた。
仏殿

重要文化財の仏殿。寛文5年(1665年)に再建。本尊の釈迦如来が安置されている。
法堂

重要文化財の法堂(はっとう)。寛永3年(1636年)に稲葉正則が寄進したもの。
イブキ

三門と仏殿の間に植えられたイブキ。仏殿が再建された頃に植えられたとされている。京都市の指定天然記念物。
大徳寺の所在地
〒603-8231
京都市北区紫野大徳寺町53(地図)
大徳寺への行き方
地下鉄北大路駅から徒歩約17分
市バス「大徳寺前」から徒歩約1分
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