相国寺を紹介しています。
由緒、見どころ、所在地、最寄駅などの情報を掲載。
相国寺
由緒
相国寺は、永徳2年(1382年)に足利義満が発願し、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)と義堂周信が中心となって創建された。山号は萬年山。臨済宗相国寺派の大本山。正式には、相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)という。
義満は春屋妙葩に開山となるように要請したが、春屋妙葩はこれを断り、亡き師・夢窓疎石を開山とした。春屋妙葩は2世住職となる。
至徳元年(1384年)に仏殿を建立、同3年(1386年)に室町幕府が南禅寺を五山の最上位とし、相国寺を第二位に列した。
明徳3年(1392年)に寺観が整えられたが、その後、何度も焼失と再建を繰り返す。
応永元年(1394年)に塔頭から出火し全焼。その2年後に室町幕府が再建し、応永6年には100メートルを超える七重大塔が建立される。
応永10年に落雷で七重大塔が焼失するが再建される。
しかし、応永23年に再び塔頭から出火し諸堂焼失。
後に再建されるが、応仁の乱(1467年)の勃発でまたしても全壊。
室町幕府8代将軍足利義政が永正年間(1504〜1521年)に再建。
しかし、天文20年(1551年)の松永久秀と細川晴元との戦いで再び焼失する。
その後、西笑承兌(せいしょうじょうたい)が豊臣秀吉、徳川家康の援助を受けて中興。ところが、天明の大火(1788年)で法堂を残し焼失する。
文化年間(1804〜1818年)に再建。
法堂
現在の法堂(はっとう)は、無畏堂(むいどう)と呼ばれ、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼の寄進によって再建されたものである。天井には狩野光信の蟠竜図が描かれている。また、本尊の釈迦如来像も安置されている。
相国寺の所在地
〒602-0898
京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701(地図)
相国寺への行き方
地下鉄今出川駅から徒歩約5分
相国寺周辺の宿泊施設
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