復元された相国寺水路の石垣

京都市上京区の京都御苑の北に相国寺が建っています。

相国寺は、永徳2年(1382年)に室町幕府3代将軍の足利義満が発願し、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)、義堂周信(ぎどうしゅうしん)を招いて創建された臨済宗のお寺です。

足利将軍が創建したお寺とあって相国寺は、今も広い境内を持っています。

しかし、創建から現在にいたるまで、相国寺は何度も焼失と再建を繰り返しているため、創建当時の姿を見ることはできません。

でも、2010年から2012年にかけて行われた発掘調査により、中世相国寺の遺構の一部が見つかり、移築・復元されています。

烏丸今出川に復元された水路の石垣

発掘調査が行われたのは、同志社大学良心館地点です。

地下鉄の今出川駅を出てすぐの場所に建っている同志社大学のキャンパスですね。

その同志社大学良心館の西側の烏丸通の歩道に中世相国寺の水路の石垣が復元されています。

相国寺水路の石垣

相国寺水路の石垣

近くに設置されている説明書によると、創建間もない時期の相国寺の水路の東岸の一部には、石垣が設けられていたそうです。

出土土器からみて、この石垣は15世紀ごろにつくられたようです。

一辺1.5メートルをこえる巨石が組み上げられていて、緑色・青色の庭石が転用されたと考えられています。

水路際の建物の基礎周りにつくられた石垣とのこと。

近くで見る石垣

近くで見る石垣

近くで見ると、確かに大きな石が組まれているのがわかります。

さらに説明書を読むと、儀礼・仏事を行う建物と石垣をもつ水路が組み合わされて庭のような壮麗な景観がつくられていたと考えられているそうです。

出土した巨石を移築して、発見された時のままに移築復元しているので、上の写真に写っている状態で相国寺創建当時も石垣が組まれていたんですね。

何気なく烏丸通を歩いていると、石垣は、同志社大学の敷地と歩道を仕切るために設置されているものだと思ってしまいます。

でも、実はこの石垣は室町時代の寺院の一部です。

500年以上前の石垣を間近に見ると、室町時代の京都がとても身近なものに感じられます。

2010年から2012年にかけて行われた発掘調査では、相国寺西辺の石敷道路も見つかったとのこと。

こちらは、同志社大学真義館北側に復元展示されているそうです。

相国寺水路の石垣は、現在の相国寺から西に5分ほど歩けば到着しますから、相国寺に参拝された後にぜひ見に行ってください。

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