毘沙門堂を紹介しています。
由緒、見どころ、所在地、最寄駅などの情報を掲載。

毘沙門堂

毘沙門堂本殿

由緒

毘沙門堂は、鎌倉時代初期に平親範が祖先の建てた太秦(うずまさ)の平等寺、五辻(いつつじ)の尊重寺、伏見の護法寺の3つの寺を合わせて上京区出雲路に再建し毘沙門天を祀ったのが起源とされる。山号は護法山。天台宗。

また、大宝3年(703年)に行基が上京区の相国寺の北に創建した出雲寺を起源とし、最澄が作った毘沙門天を安置したことから毘沙門堂と呼ばれるようになったとも伝えられている。

平安時代後期以降、戦乱により幾度となく焼失するが、慶長年間(1596〜1615年)に天海僧正が徳川家から安祥寺の土地を分け与えられ再興を行うことになる。しかし、天海は志し半ばで倒れ、その遺志を弟子の公海が引き継ぎ、寛文5年(1665年)に現在地に再建した。

その後、後西天皇の第六皇子・公弁法親王が入寺し門跡寺院となった。

なお、毘沙門堂は天台宗延暦寺派の門跡寺院で正式名称を護法山出雲寺といい、京都七福神のひとつに数えられる。

また、三千院青蓮院妙法院曼殊院とともに天台宗五箇室門跡のひとつにも数えられる。

極楽橋

極楽橋

毘沙門堂の入口にあたる極楽橋。後西天皇が行幸の折に「橋より上はさながら極悪浄土のようである」と感嘆されたことから極楽橋の勅号を賜った。

仁王門

仁王門

極楽橋を渡って左手にある急な石段を上ったところにあるのが仁王門。仁王門の左右には、阿形・吽形の金剛力士像があり、毘沙門堂を護る。

本殿

仁王門をくぐった正面に建つのが本殿(ページトップの写真)。徳川家綱が大檀越となり、紀伊と尾張の徳川家からも材木の寄進を受け、寛文6年(1666年)に竣工した。

霊殿

本殿の奥にあるのが霊殿。阿弥陀如来、歴代の天皇や徳川家の位牌が安置されている。

宸殿

宸殿

霊殿の左側にあるのが宸殿。後西天皇の旧殿を賜ったもので、狩野益信が描いた見る角度によって目や顔の向きが変わる天井の龍、逆遠近法で描かれた九老之図の襖絵などがある。また、宸殿の裏手には晩翠園という池泉回遊式庭園がある。

毘沙門堂の所在地

〒607-8003
京都市山科区安朱稲荷山町18(地図

毘沙門堂への行き方

JR山科駅から徒歩約19分
地下鉄山科駅から徒歩約19分

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