池田屋事件の跡地は今どうなっているのか?

前回の記事では、新撰組の最後の屯所について紹介しましたが、今回も新撰組について少々書いてみたいと思います。

新撰組は、幕末の京都の治安維持に務めた組織だったのですが、この新撰組を有名にした事件が、元治元年(1864年)6月に起こります。

それは、池田屋事件と呼ばれますが、では、この事件はなぜ起こったのでしょうか?

過激浪士の京都放火計画

当時の京都は、天皇を中心とした政治を行うべきだという勤王を叫ぶ浪士がいたるところで騒ぎを起こしていました。

特に天誅と称して、公卿や幕府関係者を暗殺する行為が毎日のように行われ、過激浪士によって京都の治安は悪化する一方でした。

そんな中、当時の京都の治安を守るために結成されたのが新撰組だったわけです。

新撰組は、京都の日々の治安を守るために過激浪士の取り締まりを行います。

毎日の取り締まりの中、木屋町四条の枡屋という道具屋が怪しいことをしているのではないかという噂が新撰組に伝わります。

どう怪しかったのか?

それは、枡屋は店の中に武器弾薬を隠していて良からぬことを企んでいるということ。

そこで、局長の近藤勇をはじめ20数名の隊士が枡屋に向かいます。

枡屋に到着した新撰組は、枡屋喜右衛門を連行し、拷問にかけます。

すると枡屋喜右衛門が長州系浪士の古高俊太郎という大物であることがわかります。そして、枡屋を家宅捜索すると噂通り武器弾薬も出てきました。

この武器弾薬を何に使うのかを古高俊太郎に問いただすと、元治元年6月の風の強い日を狙って、京都を放火し天皇を長州に連れていくという計画があることを白状しました。

そして、その放火計画に参加予定の過激浪士たちの連判状も見つかり、京都市街の捜査が始まります。

池田屋と料亭丹虎

新撰組の捜査は、祇園祭の宵山の日に祭りで賑わう人々に混じりながら行われました。

捜査は、枡屋周辺を中心に行われます。その中でも、三条小橋西詰の池田屋と木屋町の料亭丹虎が過激浪士の隠れ家の候補として挙がりました。

そこで、新撰組は隊士を二手に分け、池田屋には近藤勇をはじめとする6名、丹虎にはその他の隊士20数名が向かうことに。

過激浪士が隠れていたのは、6名が向かった池田屋でした。

過激浪士の数は20数名。その中には肥後の宮部鼎蔵(みやべていぞう)といった大物浪士も含まれていました。

近藤勇が「御用改めである」と言いながら池田屋に入ると主の惣兵衛が2階の客間に向かって「お客様、お役人です」と叫びます。

その声を聞いて出てきた一人の浪士を近藤勇が階段を駆け上がりながら斬り捨て、大捕物が始まります。

数の上では、浪士たちの方が勝っていましたが、新撰組は事前に客に変装した監察の山崎蒸(やまざきすすむ)をスパイとして池田屋に送り込んでおり、浪士たちの刀を別の部屋にしまっていました。

その後、会津藩の加勢もあり、浪士たちはその場で斬られたり、捕えられたりして、京都放火計画は未然に終わりました。

山崎蒸の活躍は嘘?

池田屋事件の影の功労者は、浪士たちの刀を別の部屋にしまっておいた山崎蒸ということになっていますが、実は、山崎のこの活躍はなかったのではないかとも言われています。

株式会社かもがわ出版の「京都に強くなる75章」の中の「26新選組の池田屋襲撃を再検する」では、新撰組は枡屋周辺を一軒ずつ捜索して行ったことから、山崎蒸の活躍は虚構であると判断せざるを得ないということが書かれています。

確かに浪士が池田屋に隠れていることが事前に分かっていなければ、山崎蒸を池田屋に送り込むことはできません。

しかし、新撰組は浪士が池田屋か料亭丹虎のどちらに隠れているのかわからなかったため、2組に分かれて捜査をしたわけです。山崎を池田屋に送り込んでいたのなら、最初から池田屋に浪士が隠れていることがわかっていたのですから、隊士を2組に分ける必要もありませんね。

ただ、新撰組6人で、20数名もの過激浪士と闘ったことを考えると山崎が浪士たちの刀を別の部屋にしまうなどの手助けがなければ、難しかったのではないでしょうか。

真実はどちらか。それを想像するのも歴史の楽しみ方の一つですよね。

現在、池田屋跡はどうなっているのか

以前は、池田屋跡には、パチンコ店が建っていましたが、現在は「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」というお店になっています。

三条大橋の西にある池田屋跡に建つ料理屋さん

三条大橋の西にある池田屋跡に建つ料理屋さん

お店のホームページがないみたいなので、お店の情報は、ぐるなび等で調べてみてください。

また、「小さな☆しあわせ見つけた♪ 」さんのブログの海鮮茶屋 池田屋 はなの舞の記事で、店内や料理の写真が掲載されています。

出し巻き卵に「池田屋」と焼印されているのが凝ってますね。

私も機会があれば、お店に入ってみたいと思います。

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参考文献



京都桜photo