大政奉還に貢献した後藤象二郎の寓居跡

京都市中京区の河原町三条の交差点から南に3分ほど歩くと、ホテルリソル京都 河原町三条というホテルが建っています。

このホテルリソル京都 河原町三条が建つ地には、かつて醤油商の壺屋があり、幕末に土佐藩士の後藤象二郎が京都滞在中の常宿としていました。

土佐藩の重職に就き大政奉還を実現

後藤象二郎は、土佐藩の参政で義理の叔父である吉田東洋の少林塾で学びました。

少林塾では、後に三菱を興す岩崎弥太郎も学んでいました。

吉田東洋は、文久2年(1862年)に暗殺されます。

武市半平太が率いる土佐勤王党の那須信吾らが下手人とされています。

以後、土佐藩は土佐勤王党の力が強くなり、後藤象二郎は政治の中枢から退くことになります。

しかし、土佐勤王党も、翌年の文久3年に前藩主の山内容堂(やまのうちようどう)が土佐に帰国すると弾圧が始まり、八月十八日の政変を境に土佐勤王党の力は弱まり、武市半平太も投獄後死罪となりました。

後藤象二郎は、土佐勤王党が藩を牛耳っている間、江戸で航海術を学び、元治元年(1864年)以降、再び藩政に返り咲きます。

そして、慶応2年(1866年)に参政となり、翌慶応3年には家老に就任しました。

後藤象二郎は、同じ土佐藩士で脱藩して海援隊を結成した坂本竜馬とも親交がありました。

後藤象二郎は、坂本竜馬から、これからの日本の進むべき道を示した船中八策を聞かされ感銘を受けます。

そして、山内容堂を通して15代将軍徳川慶喜にその内容を建白し、大政奉還が実現しました。

後藤象二郎寓居之跡の石碑

ホテルリソル京都 河原町三条の入り口には、平成29年(2017年)に大政奉還150年を記念して後藤象二郎寓居之跡の石碑が建立されました。

後藤象二郎寓居之跡の石碑

後藤象二郎寓居之跡の石碑

ホテルの入り口は狭い路地となっており、まっすぐ進んだ突き当りには醤油の樽が積まれています。

醤油の樽

醤油の樽

醤油商壺屋が、ここにあったことを示しているのでしょうか。

ホテルの1階には、後藤象二郎を記念したギャラリーもあり、自由に見学できます。

ホテルリソル京都 河原町三条に宿泊する時や近くを通りかかった際は、ギャラリーを見ていくと良いですね。

後藤象二郎は、明治新政府で大阪府知事や参与に就きましたが、征韓論に敗れ西郷隆盛らとともに下野しました。

そして、新政府をともに下野した同郷の板垣退助らとともに自由民権運動を繰り広げ、自由党の結成に関わります。

その後、後藤象二郎は政府で逓信大臣や農商務大臣などの重職に就き、明治30年(1897年)に59歳で亡くなりました。

後藤象二郎寓居之跡の石碑がある河原町通には、坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋跡の石碑もあります。

また、河原町通の1本東の木屋町通には、土佐藩邸跡もありますよ。

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