2013年01月一覧

大村益次郎の墓碑・京都霊山護国神社

京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、明治維新に貢献した志士たち1,356名が祀られています。 その多くが、明治維新を見る前に亡くなった志士たちなのですが、中には、明治維新を迎えた後に亡くなった志士の墓碑もあります。 長州藩士の大村益次郎もそのうちのひとりです。

鳥取藩殉難者を祀る鳥取藩招魂社・京都霊山護国神社

京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、明治維新に貢献した志士たちの墓碑が多数あります。 その多くは、長州藩士や土佐藩士のものですが、それ以外の藩士の墓碑や招魂社もあります。 幕末史にあまり登場しませんが、鳥取藩では、明治維新に貢献した志士87人が、霊山の山頂に建つ鳥取藩招魂社に祀られています。

天誅組の墓碑・京都霊山護国神社

文久3年(1863年)8月に起こった天誅組の変は、後に倒幕の導火線となった事件として評価されるようになりました。 天誅組を率いたのは、土佐藩出身の吉村寅太郎で、京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、彼と天誅組の墓碑があります。

禁門の変殉難者の墓碑・京都霊山護国神社

前回の記事では、京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)の池田屋事件殉難者の墓碑を紹介しました。 池田屋事件は、元治元年(1864年)6月に起こり、長州系の浪士たちが新撰組に斬られたり捕縛されたりしました。 それに怒りを覚えた長州藩が、翌月に大挙して京都に攻め上り、幕府軍と戦ったのが禁門の変です。京都御所の蛤御門(はまぐりごもん)が激戦地であったことから蛤御門の変とも呼ばれています。 その時の殉難者の墓碑も京都霊山護国神社にあります。

池田屋事件殉難者の墓碑・京都霊山護国神社

元治元年(1864年)6月に起こった池田屋事件では、長州藩士を中心に多くの志士が新撰組と会津藩によって斬られたり、捕縛されたりしました。 池田屋事件は、明治維新を1年遅らせることになったといわれているように幕末史における重大事件のひとつに数えられます。 その時の殉難者たちのお墓が、京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)にあります。

坂本竜馬と中岡慎太郎が眺めている京都市街・京都霊山護国神社

京都市東山区の霊山(りょうぜん)に京都霊山護国神社が建っています。 霊山には墓地があり、そこには、明治維新のために尽くした志士1,356名の御霊が祀られており、その中には、坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓もあります。 今まで、一度は京都霊山護国神社の墓地に行ってみようと思っていましたが、なかなか機会がなく行けていませんでした。 このままだと、一生行かないなと思ったので、先日、時間をとって京都霊山護国神社にお参りをしてきました。

縁結びや久志塚など女性に人気の安井金比羅宮

京都市東山区の祇園界隈を歩いていた時に安井金比羅宮の前を通りかかったので、ちょっとばかり境内の様子を見ていくことに。 ここは、縁切りと縁結びのご利益がある神社なので、女性の参拝者が比較的多いところです。 信号待ちをしている間にも東の鳥居からちらほらと若い女性の方が出てきます。

2月中旬まで行われる京都十六社朱印めぐり

毎年1月から2月中旬まで、京都の16の神社で、「京都十六社朱印めぐり」が行われています。 16の神社のどこかにお参りに行けば、案内が置いてあるので、それを読むと内容がわかるのですが、ちょっとだけ説明しておきます。 京都十六社めぐりは、16の神社にお参りをして朱印帳に16ヶ所全部の朱印を押してもらうと、その年の干支の置物を授かれるというものです。 朱印帳は各神社で無料でいただくことができ、朱印は1ヶ所300円となっています。 今回の記事では、16社を地域別に簡単に紹介します。

藤原氏の栄華の跡・東三条院址

京都市中京区の押小路通と釜座通が交差するあたりに東三条院址(とうさんじょういんし)の石碑を発見しました。 腰よりも低い石碑なので、普通なら見向きもせずに通り過ぎてしまうのですが、近くに京都市の説明書が立っていたので、近寄ってじっくりと観察することにしました。 ここはどうやら平安時代に貴族の屋敷があった場所のようです。

石清水八幡宮の厄除大祭焼納神事・2013年

毎年1月15日から19日に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で、厄除大祭が行われます。 また、19日には、古いお札やお守りが炊き上げられる焼納神事が催されます。 参拝者には、厄除開運餅が先着1,500名に振る舞われるということなので、19日の午前10時過ぎに石清水八幡宮を訪れました。