大黒寺の伏見寺田屋殉難九烈士の墓

京都市伏見区に大黒寺というお寺が建っています。

大黒寺は、江戸時代に薩摩藩と深い関係があったお寺で、墓地には、文久2年(1862年)4月23日に起こった寺田屋事件で、命を落とした9人の藩士のお墓があります。

以前から、大黒寺に9人のお墓があることは知っていたのですが、実際に見たことがなかったので、先ごろ、お墓参りに行ってきました。

西郷隆盛によって建てられたお墓

大黒寺は、京阪電車の丹波橋駅または近鉄丹波橋駅から西に10分ほど歩いたあたりに建っています。

その名のとおり、本堂には大黒さまが祀られています。

大黒寺の本堂

大黒寺の本堂

まずは、財福のご利益を授かるために本堂にお参り。

本堂の脇には、小さなお地蔵さまもいらっしゃいます。

お地蔵さま

お地蔵さま

右側の少し首をかしげたお地蔵さまの奥に墓地があります。

ここから先は、静かにしましょう。

墓地の入り口には、伏見寺田屋殉難九烈士之墓と刻まれた石柱があります。

伏見寺田屋殉難九烈士之墓

伏見寺田屋殉難九烈士之墓

寺田屋事件で命を落とした9人の薩摩藩士のお墓を建てたのは西郷隆盛です。

墓石に刻まれている文字も西郷隆盛が書いたものだとか。

墓地に入ると、横一直線に等間隔で9つのお墓が並んでいます。

一番右端にあるお墓が、寺田屋事件の重要人物の有馬新七のものです。

左から柴山愛次郎、橋口伝蔵、田中謙助、有馬新七

左から柴山愛次郎、橋口伝蔵、田中謙助、有馬新七

寺田屋事件は、島津久光が幕政改革のために上洛した時、それを倒幕のための上洛と勘違いした一部の薩摩藩士や浪士たちが寺田屋に集まっていたところを、島津久光の命を受けた別の薩摩藩士がなだめに行った際に斬り合いとなった事件です。

島津久光の命を受けた奈良原喜八郎、大山綱良、道島五郎兵衛たちが寺田屋に到着し、そこにいた藩士たちに過激な行動を慎むように説得しましたが聞き入れられず、斬り合いが始まりました。

左から西田尚五郎、橋口壮介、弟子丸龍助

左から西田尚五郎、橋口壮介、弟子丸龍助

この斬り合いで凄惨な死に方をしたのが、有馬新七と道島五郎兵衛です。

道島五郎兵衛が刀を振りかぶると、有馬新七が彼に抱きついて組合となりました。

この時、有馬新七が橋口吉之丞に自分ごと道島五郎兵衛を突き刺すように指示します。

最初は、戸惑った橋口吉之丞でしたが、意を決して有馬新七に言われたように2人を刀で串刺しにしました。

山本四郎(左)、森山新五左衛門(右)

山本四郎(左)、森山新五左衛門(右)

この騒動で、即死した寺田屋滞在者は、有馬新七、柴山愛次郎、橋口伝蔵、弟子丸龍助、西田尚五郎、橋口壮介の6人でした。

また、田中謙助、山本四郎、森山新五左衛門は、後に切腹を言い渡されています。

大黒寺に葬られたのは、上記9人だけで、道島五郎兵衛のお墓は、ここにはありません。

その理由は、上記9人が薩摩藩からすると反逆者にあたるため、藩の菩提寺の即宗院に葬られず、討っ手の道島五郎兵衛だけが即宗院に埋葬されたからです。

道島五郎兵衛は、寺田屋殉難九烈士とは、藩での扱いが違っていたんですね。

ちなみに寺田屋殉難九烈士の墓石が建立されたのは、この事件から2年後のことでした。

なお、大黒寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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