本圀寺跡から出土した僧名が墨書された陶磁器

堀川五条の交差点から堀川通を北に約100メートル歩き、万寿寺通を西に曲がると、「南無妙法蓮華経」と刻まれた背の高い題目碑が立っています。

ここは、かつて本圀寺(ほんこくじ)があった場所。

当寺は、昭和44年(1969年)に山科に移転し、その跡地には、一部にお寺が見られるものの、商業ビルやマンションが建ち並び日蓮宗の大本山がここにあったとは想像できない景観になっています。

この本圀寺跡ですが、昭和60年に平安博物館による発掘調査が行われた際、僧名が墨書された陶磁器が多数出土しています。

突如現れる題目碑

本圀寺跡には、地下鉄の五条駅から西に約10分歩くと到着します。

JRだと丹波口駅から東に徒歩約10分です。

五条通から堀川通を北に進み万寿寺通で左折すると、大本山本圀寺の題目碑が歩道を塞ぐようにして突如現れます。

本圀寺跡の題目碑

本圀寺跡の題目碑

全国文化財総覧の以下のページからPDFをダウンロードして、50ページを見ると、出土した陶磁器に僧名が墨書されているのが確認できます。

写真ではなく図が掲載されているのですが、確かに「慈観」や「貞性」などお坊さんの名と思しき文字が陶磁器に記されています。

図示されている以外にも、「春哲」「玄秀」「幸隆」「集解」「了泉」「文句」「観心」「観嶺」「玄」「焚」などがあり、また、「三ツ之内玄堂」「十之内随光」「十之内春海」「百二」などの数字が記載されたものも見つかったようです。

本圀寺には僧侶を養成する檀林があった

ところで、なぜ、陶磁器に僧名が記されているのでしょうか。

以前に紹介した書籍『京都 知られざる歴史探検』の下巻では、江戸時代の本圀寺には、僧侶を要請するための檀林という施設があったそうです。

檀林は、全寮制であったことから大人数が共同生活しており、個々人の持ち物が混乱するトラブルを防ぐため、寮生たちは自分の所持品に名前を書いていたのではないかと推測しています。

「十之内随光」と記されているものは、似たようなものがたくさんある中の10個が随光という寮生の持ち物だという意味なのかもしれません。

檀林は、本圀寺だけでなく、日蓮宗の教育機関として複数ありました。

関東には八檀林、関西には六檀林が設けられ、千葉県匝瑳(そうさ)市の飯高檀林は、現在の立正大学へと発展しています。

本圀寺は、戦国時代の本国寺の変や幕末の本圀寺事件が起こったお寺であり、歴史的には血なまぐさい印象があります。

しかし、それは本圀寺の長い歴史の一端であり、後醍醐天皇から勅願所綸旨を賜った根本道場であること、また、光明天皇から正嫡付法(しょうちゃくふほう)の綸旨(りんじ)を賜っていることから考えると、日蓮宗布教の拠点と見るべきでしょう。

僧名が墨書された陶磁器は、ここで多くの僧が修行したことを意味するものであり、同時に布教の地であったことを物語っているように思えます。

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