新町通にあった三井京両替店

京都市中京区の新町通と六角通が交わる辺り。

ここは、かつて後鳥羽上皇の御所が置かれた場所と伝わっています。

江戸時代に入ると、当地は龍野藩脇坂家の京藩邸の一部となりましたが、貞享3年(1686年)に越後屋呉服店の創業者三井高利が両替店を開きました。

江戸時代の総合金融業

地下鉄四条駅もしくは阪急烏丸駅を出て、新町通を北に7分ほど歩くと、三井京両替店があった地に到着します。

三井京両替店跡

三井京両替店跡

現在、当地には三井京両替店があったことを示す説明書が設置されています。

三井京両替店跡の説明書

三井京両替店跡の説明書

説明書によると、三井高利は、この地に両替店を開き江戸、大坂、京の三都にまたがる両替事業の本部とするとともに自らの居宅もここに移して、事業を統括しながら晩年を過ごしたそうです。

当時の両替業は、貸付、為替、金銀通貨の交換などを行う総合金融業でした。

元禄4年(1691年)に幕府から金銀御為替御用(きんぎんおかわせごよう)を拝命したことにより、三井にとって両替業は呉服販売業と並ぶ主要事業となります。

これが後の三井財閥へと発展していきます。

三井が大きな発展を遂げたのは、高利の遺訓により、家産と事業の永続を図る目的で、三井家の結束を強めるための「三井十一家」の同族組織や「大元方制(おおもとかたせい)」による明確な共同経営形態を採用したことが理由とされています。

これにより三井の事業資産は分割せず共有となり、共同経営が可能となりました。

当時としては、三井は先進的な組織形態をとっていたようです。

明治9年(1876年)には、わが国最初の私立銀行である三井銀行が設立され、当地は同行の西京分店となり、後に京都支店と改称されました。

銀行は、明治37年に四条烏丸角へ移転しましたが、この地の奥は引き続き三井十一家のひとつである新町三井家の邸宅として近年まで使用されていたとのこと。

そう言えば、四条烏丸には三井住友銀行がありますね。

また、新町三井家の邸内にあった常盤殿は昭和31年(1956年)に東山区の八坂神社に移築されています。

八坂神社には、南楼門近くに常盤殿がありますが、新町三井家から移築したのはこの建物なのでしょう。

常盤殿の隣にも常盤新殿という建物がありますが、移築されたのは、こちらではないと思います。

京都には、他にも三井越後屋京本店記念庭園といった三井の旧跡が残っています。

京都は三井の発展にとって重要な役割を果たした地だったんですね。

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