京都市右京区の桂川に架かる渡月橋を北に渡ると、お土産物屋さんや飲食店が密集し、歩道は車道に溢れ出んばかりの観光客で賑わう。
そこから北東に5分ほど歩くと、人波は途絶え、木々がうっそうと茂る一帯にたどり着きます。
ここは、第98代天皇の長慶天皇の陵墓。
正式には、長慶天皇嵯峨東陵(ちょうけいてんのうさがのひがしのみささぎ)といいます。
南朝の第3代天皇
長慶天皇嵯峨東陵には、京福電車の嵐山駅から東に約3分歩くと到着します。
JRの嵯峨嵐山駅からだと南に徒歩約5分です。
入口には、宮内庁の案内がかかり、ここが長慶天皇嵯峨東陵であるとともに敷地内には長慶天皇皇子の承朝王のお墓もあることが示されています。
中に入ると、白砂が敷き詰められており、これ以上奥に行けないよう石造りの玉垣が両腕をいっぱいに広げる。
その先には、白砂との対比で青々として見えるマツなどの木が植わり、中央に神明造の鳥居が立っています。
鳥居の先には固く閉ざした黒色の門があり、奥は誰にも見せないぞという意思が感じられる。

長慶天皇嵯峨東陵
長慶天皇といわれても、その事績どころか、名すら知らない人がほとんどでしょう。
後醍醐天皇、後村上天皇と続いた後の南朝の3代目の天皇が長慶天皇です。
長慶天皇は、正平23年(1368年/北朝の応安元年)に即位しており、この時、北朝の天皇だったのは後光厳天皇(ごこうごんてんのう)です。
この頃になると、南朝は人材が枯渇し始めていました。
楠木正成も新田義貞も名和長年も30年くらい前に討死していますし、四条隆資も正平の役で戦死しています。
南朝の頭脳ともいえる北畠親房も、この世を去った後。
忠臣楠木正成の子の正儀(まさのり)が北朝に降るなど苦しい中、末期の南朝を率いたのが長慶天皇でした。
崩御したのは応永元年(1394年)で、その2年前に南北朝が合一していることから戦乱の終結を見届けていますが、その時には後亀山天皇に譲位しています。
長慶天皇が京都に入ったことがあるのかわからないものの、晩年は天龍寺で過ごしていたと推測されることから、当地が長慶天皇の陵墓に治定(じじょう)されたようです。
長慶天皇皇子承朝王墓
長慶天皇嵯峨東陵から南に進むと、長慶天皇の皇子である承朝王(じょうちょうおう)のお墓もあります。

長慶天皇皇子承朝王墓
承朝王は、南北朝合一後に出家し、海門承朝(かいもんじょうちょう)となって、相国寺や南禅寺の住持などを務めたそうです。
ちなみに承朝王墓から南に向かうと、陰陽師の安倍晴明のお墓もあります。
きっと、観光客の方に人気なのは、安倍晴明のお墓だと思いますが、お墓参りに訪れた際は、長慶天皇嵯峨東陵と長慶天皇皇子承朝王墓にも参拝してはいかがでしょうか。