明治から昭和の俳人・高浜虚子は、何度も京都を訪れ俳句を読んでいます。
京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)にも参拝したことがあり、その時に読んだ俳句を刻む石碑が当院の講堂前に置かれています。
智積院の池を詠んだ俳句
智積院には、京阪電車の七条駅から東に約7分歩くと到着します。
市バス停だと「東山七条」で下車してすぐです。
入口からカエデや梅の木に挟まれた参道を東に進むと奥に金堂が現れます。

参道
そのまま金堂には向かわず、参道の中ほどで左折。
正面に門があり、それをくぐった先に講堂が建っています。

講堂へ続く門
智積院は境内に入るだけなら無料ですが、この門をくぐって講堂や庭園を拝観するためには、脇にある受付で拝観料500円を納める必要があります。
ちなみに青葉まつりが行われる6月15日に参拝すれば無料です。
高浜虚子の句碑は、講堂前、参道の右手に置かれています。
石碑は、人の背ほどの高さがあり、上部は鋭利な刃物のようにとがる。

高浜虚子の句碑
正面は平面で、周囲は黒ずんでいるものの、俳句が刻まれている部分は手入れをしているのか、句碑が置かれて間もない灰色のまま。
ひらひらと つくもをぬひて 落花かな
高浜虚子は、明治7年(1874年)に愛媛県に生まれ、同25年に第三高等学校(後の京都大学)に進学し、約2年間、京都で暮らしていました。
多感な時期に京都で受けた刺激からか、彼は、その後の人生で何度も京都に旅行で訪れています。
上のは俳句は、高浜虚子が昭和5年(1930年)4月に智積院を参拝した時に作ったもの。
智積院の説明書によれば、「つくも」は、高さが1~2メートルの池沼などに生える多年草である藺草(ふとい)のことで、かつて境内の池にたくさん生えていたことがこの句からうかがえるとのこと。
池は明王殿の脇にある
講堂の前の門を出て、参道を東へ。
金堂まで来たところで右折すると、明王殿が建ち、その北側に小ぢんまりとした池が配されています。
智積院の池と聞いて思いつくのは、この池くらい。

明王殿と池
池では、初夏にキショウブ、夏にハスが咲く。
ほとりには芝生が生え、ハスが咲く頃に夏草も伸びてきますが、つくもではなさそう。
4月には、ソメイヨシノや八重紅枝垂れ桜が境内のいたるところで咲き誇りますが、高浜虚子が参拝した当時も今と同じように桜が咲いていたかはわかりません。
俳句にある「落花」は、いったいどの木を指しているのか。
4月に花を落とす木で思いつくのは椿。
境内では、金堂の前に椿の巨木が植わっており、樹齢100年以上なら高浜虚子も見ている可能性があります。
ただ、池のほとりにはカエデは植わるも、椿らしい木は見られません。
俳句に出てくる落花とは、どの木から落ちた花だったのか。
あと庭園にも池があるので、高浜虚子の俳句はそちらを詠んだものの可能性もあります。
庭園の築山には、ツツジやサツキが植えられており、ツツジなら4月下旬に花が落ちることもありそう。
でも、ツツジの花は、萎れてくしゃくしゃになりますから、花ごと落ちる光景を見るのは難しいように思います。
「ひらひらと」という部分を見ると、花びらが揺れながら落ちていく様を表現しているように思えますから、落花は桜の花びらが散っていると解釈して良いのかもしれません。
4月という時期にも合いますしね。
ちなみに句碑は、昭和48年2月に千葉県神野寺の山口照道師が寄進したものです。
智積院で講堂や庭園を拝観する場合、建物内の展示品や庭園の風景が目当てでしょうが、高浜虚子の句碑もご覧になって、彼が見た境内がどのようなものだったのかを思い浮かべてはいかがでしょうか。
なお、智積院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。