京都には、少ないながらも、平安時代初期に造営された庭園が残っています。
この頃の庭園は、禁苑、すなわち、宮中の庭園として、天皇の離宮や院御所に造営されました。
庭園には、大きな池が配されているのが特徴的で、桓武天皇の神泉苑や嵯峨天皇の嵯峨院、朱雀院などが知られています。
この中で現存している庭園は、神泉苑と現在は大覚寺となっている嵯峨院です。
二条城に取り込まれた神泉苑
神泉苑は、地下鉄の二条城前駅から西に約3分歩いた南側にあります。
現在は、東寺が管理しているお寺になっていますが、境内の大部分を法成就池(ほうじょうじゅいけ)と呼ばれる池が占有しており、平安時代初期の面影を今に伝えています。

神泉苑
この神泉苑、かつては東西に二町(約240メートル)、南北に四町(約480メートル)の規模を誇り、泉が湧き出す大池でした。
天皇や貴族が、文化活動を行った場であり、往時は龍頭船が浮かべられ、優雅なひと時を過ごしていたのでしょう。
現在も大きな池ではありますが、平安時代初期と比べるとこじんまりとしたもの。
徳川家康が、北に二条城を築いたことで、神泉苑の一部が城に取り込まれてしまったのが、規模縮小の原因。

二条城
京都市内、それも御所に近い場所に広く深い堀を持つ城を構えるために神泉苑が格好の地であったことは容易に想像できます。
嵯峨天皇の時代の大沢池が残る大覚寺
JRの嵯峨嵐山駅から北に約15分歩いた場所にかつて嵯峨天皇の離宮であった大覚寺が建っています。
境内の東半分を広大な大沢池(おおさわのいけ)が占め、風がなければ波が立たず水面は穏やか。

大沢池
周囲は約1kmなので、二条城に敷地を取られる前の神泉苑より一回り小さめ。
大沢池に驚かされるのは、中国の洞庭湖(どうていこ)を模して造られた人工の池であること。
現代でも、この規模の池を造ろうと思ったら何年もかかるはず。
それを平安時代初期に造営したのですから、いったいどれだけの人夫を徴発したのか。
池の北東には、大きな天神島(てんじんじま)とそれより小さめの菊ヶ島があり、島と島の間には、庭湖石(ていこいし)が配されています。

天神島、庭湖石、菊ヶ島
天神島には、菅原道真を祀る天神社やご神木、その他、石碑が置かれています。
天神島の東端に立つと、菊島が見える。

天神島に立つ
菊島には渡れないので、池のほとりから眺めるだけ。

菊ヶ島
庭湖石も、同じく近づけないので遠目での鑑賞となります。

庭湖石
天神島・菊ヶ島・庭湖石の二島一石の配置は、華道嵯峨御流の基本型に通じているとのこと。
下の写真は、京都御所の一般公開で見た嵯峨御流の生け花。

嵯峨御流の生け花
このたたずまいを見て、「さすが嵯峨御流。二島一石の基本型が守られている」とわかる人は、生け花の知識が深い。
私など、どこがどう二島一石なのか、まったく理解できず、花瓶にさされた花や実にただ季節を感じるだけの無粋な人間でしかない。
天神島から北に進み、大沢池の端っこにやって来ると、名古曽(なこそ)の滝の跡があります。

名古曽の滝跡
嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたもので、「今昔物語」では百済川成(くだらのかわなり)が作庭したものと伝えています。
百人一首の藤原公任(ふじわらのきんとう)の以下の歌は、この名古曽の滝を詠んだもの。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こへけれ
名古曽の滝以外にも、池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏があり、国指定の名勝地になっています。
嵯峨院の大沢池を大覚寺がそのまま引き継ぎ、現在も平安時代初期の風景が残るのは貴重。
周辺もビルがなく、自然の景色だけが視界に入る。
ここが、神泉苑とは大きく異なるところ。
大沢池は人工的に造られたものですが、そのおかげで周辺の景観が保たれていることを考えると、自然破壊につながらない開発もあるのだと感慨深くなります。