2026年08月一覧

近接する上徳寺と市比売神社はともに子授けと安産のご利益を授けてくれる

五条大橋を西に渡り、河原町通を超え富小路通で南に曲がると、お寺や神社が密集しています。 商業ビルが建ち並ぶ五条通から富小路通に入れば、京都はどこに行っても寺社だらけと言われるのを実感します。 さて、この界隈には、上徳寺と市比売神社(いちひめじんじゃ)が建っており、どちらも子授けと安産のご利益を授けてくれると信仰されています。 どちらを祈願するにしても、同じご利益を授けてくれるお寺と神社が近くにあるのは参拝者にとって手間が省けてありがたい。

京都ブライトンホテルとハイアットリージェンシー京都が営業終了。そして新ホテル開業へ。

京都で長年親しまれてきた2つの高級ホテルが、近々、営業を終了することが発表されています。 ひとつは上京区の京都ブライトンホテル、そして、もうひとつは東山区のハイアットリージェンシー京都です。 近年、京都はオーバーツーリズムが大問題になるほど人が増えているので、宿泊施設の数も増やさないと旅行者の滞在に影響が出ます。 それなのに京都で知名度が高い両ホテルが営業終了するのには、どういう理由があるのでしょうか。

本圀寺跡から出土した僧名が墨書された陶磁器

堀川五条の交差点から堀川通を北に約100メートル歩き、万寿寺通を西に曲がると、「南無妙法蓮華経」と刻まれた背の高い題目碑が立っています。 ここは、かつて本圀寺(ほんこくじ)があった場所。 当寺は、昭和44年(1969年)に山科に移転し、その跡地には、一部にお寺が見られるものの、商業ビルやマンションが建ち並び日蓮宗の大本山がここにあったとは想像できない景観になっています。 この本圀寺跡ですが、昭和60年に平安博物館による発掘調査が行われた際、僧名が墨書された陶磁器が多数出土しています。

淀千両松にある戊辰役東軍戦死者埋骨地の慰霊碑

慶応4年(1868年)1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いは、薩摩藩と長州藩を中心とした新政府軍が、旧幕府軍を火力で圧倒します。 1月4日には、新政府軍が錦の御旗を掲げ、旧幕府軍を構成する会津藩や新撰組は、伏見の南西に位置する淀まで撤退。 そして、翌5日には、淀の千両松で新政府軍と旧幕府軍が再び戦闘を繰り広げ、当地は鳥羽伏見の戦いにおける激戦地となりました。 現在、千両松には「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれた慰霊碑が立っています。

かつての宇治川に架かっていた宇治小橋

京都市伏見区の京都競馬場付近は、かつては、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる三川合流地帯でした。 この辺りが淀と呼ばれるのも、淀川との関係を連想させます。 東には巨椋池(おぐらいけ)もあったことから、見渡す限り水が溢れかえっているような景観だったのでしょうが、現在は住宅街となっているため想像するのが難しい。 でも、街中にひっそりと立つ「淀小橋旧址」と刻まれた石碑を見ると、一帯が川に囲まれていた時代があったことを認めざるを得ません。

長慶天皇嵯峨東陵と承朝王墓

京都市右京区の桂川に架かる渡月橋を北に渡ると、お土産物屋さんや飲食店が密集し、歩道は車道に溢れ出んばかりの観光客で賑わう。 そこから北東に5分ほど歩くと、人波は途絶え、木々がうっそうと茂る一帯にたどり着きます。 ここは、第98代天皇の長慶天皇の陵墓。 正式には、長慶天皇嵯峨東陵(ちょうけいてんのうさがのひがしのみささぎ)といいます。

伊藤若冲の『動植綵絵』の売却で境内を取り戻した相国寺

京都市上京区の京都御苑の北に相国寺(しょうこくじ)という臨済宗のお寺が建っています。 マツやカエデなど、たくさんの木々が植わる境内は約4万坪を誇る。 創建したのは室町幕府3代将軍の足利義満。 境内を見渡しながら、さすが将軍ともなると、このような広大な敷地にお寺を造営できるんだなと考えてしまいますが、創建当時は約144万坪もあったというのですから、いったいどれだけの財力を持っていたのか想像することもできません。

江戸幕府によって城構えに改められた知恩院と金戒光明寺

京都市東山区の知恩院と左京区の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、ともに浄土宗の本山であり、広々とした境内に豪壮な建物がいくつも建っています。 どちらも浄土宗の開祖の法然上人ゆかりの地ですが、現在の寺観になったのは江戸時代のこと。 徳川家の援助を受けて、境内が整備されたのですが、そこには、幕府の戦略的な意図があったとされています。

ゲートボールの神さまを祀る藤森神社

京都市伏見区に建つ藤森神社(ふじのもりじんじゃ)では、毎年5月5日に藤森祭が催されます。 藤森祭は、菖蒲の節句発祥の祭とされていることもあり、当社は勝運の神さまとして崇められています。 また、藤森祭では駈馬神事が行われることもあり、馬の神さまとして競馬関係者やファンの間でも人気となっています。 高齢化社会を迎えた現代日本にあって興味深いのは、祭神の舎人親王(とねりしんのう)がゲートボールの神さまとしても崇敬されていることです。

源経基が子孫繁栄を祈った六孫王神社の神龍池

京都市南区の東寺の北西に六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)という社が建っています。 かつては、広大な敷地を有していた当社ですが、国鉄の新幹線の建設などで境内が削られ、現在はスーパー1店舗分くらいの規模に縮小しています。 それでも、境内の中央には神龍池が残り、往時の面影を今に伝えています。