京都市上京区に堀出シ町(ほりだしちょう)という地名があります。
何やら買い物をすると、お手頃価格で良い品が手に入りそうに思えますが、掘り出し物を見つけられるという意味で名づけられたのではありません。
そもそも「堀」の字が違いますし。
かつて、この辺りは、室町幕府の花の御所があり、それが堀出シ町の由来と伝わっています。
花の御所の南西角にあたる
地下鉄の今出川駅を下車して、今出川通を西に100メートルほど歩き、室町通を横切ると堀出シ町に入ります。
さらに西に進むと歩道の北側に上京区総合庁舎が建ち、その西端から元新在家町に変わります。
地図で確認すると、150メートル四方の中に北海道を描いたような形。
花の御所は、この堀出シ町から北東にかけて、足利義満が造営した将軍邸です。
北は毘沙門堂大路(現上立売通)、南は北小路(現今出川通)、東は烏丸小路(現烏丸通)、西は室町小路(現室町通)までが、花の御所の敷地で、南北に二町(220メートル)、東西に一町(110メートル)の広さだったという。
また、烏丸通を挟んだ東側も、広大な境内を有する相国寺が建ち、こちらも足利義満が創建したものです。
今は、お店や民家、同志社大学が目立っていますが、約600年前には、この地に大邸宅と大寺院があり、将軍義満の権力が強大だったことがうかがえます。
室町幕府は、この花の御所が室町小路の辺りにあったことに由来し、敷地内には各地の守護大名から献上させた四季折々の花木に彩られていたそうです。
その景観は、花の御所というにふさわしいものだったことでしょう。
義満は、後円融天皇を招き詩歌管弦や蹴鞠の宴を催しており、花の御所で我が世の春を謳歌したに違いない。
花の御所は、武家の邸宅である以上、ただ敷地を華やかにするだけではなかったはず。
敵からの侵入を防ぐ様々な工夫をしていたでしょうし、外側に堀を設けていたとしても不思議ではありません。
その花の御所の堀があった場所ということで、室町通の西側が堀出シ町と名付けられたと伝えられています。
堀出シ町は、花の御所の南西に位置していますが、ここにしか堀を造らなかったわけではないでしょう。
外郭の一部だけを堀出シ町とした理由はわかりません。
大聖寺の花の御所跡を示す石碑
今出川通沿い、室町通と交わる辺り、歩道の片隅に足利将軍室町第跡の石柱が立ち、この辺りが花の御所だったことがわかります。
また、今出川通から烏丸通を北に約2分歩くと、左手に大聖寺(だいしょうじ)があり、その敷地内にも、花の御所跡を示す石碑が置かれています。

大聖寺
大聖寺は、知る人ぞ知る萩の名所。
最近は、その萩がよく育っており、花の御所跡の石碑も、萩に埋もれそうになっています。

花乃御所跡の石碑
花の御所がこの地にあったことがわかる史跡は残っておらず、どのような邸宅だったのかは想像するしかありません。
守護大名が献上した花木の中に萩が含まれていたのであれば、初秋に赤色や白色の小さな花を無数に咲かした姿を足利義満も見ていたかもしれませんね。