空也供養が語源と伝わる膏薬辻子
地下鉄の四条駅、または、阪急電車の烏丸駅から四条通を西に3分ほど歩き、新町通と西洞院通のちょうど真ん中くらいにやって来ると、南に向かって延びる細い道が現れます。 この細い道は、膏薬辻子(こうやくのずし)と呼ばれています。 何やら、打ち身や捻挫に効きそうに思える道ですが、それらの治療をしてくれる医療機関が密集しているとか、ドラッグストアが軒を連ねているとかいった意味で、その名が付いたのではありません。
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地下鉄の四条駅、または、阪急電車の烏丸駅から四条通を西に3分ほど歩き、新町通と西洞院通のちょうど真ん中くらいにやって来ると、南に向かって延びる細い道が現れます。 この細い道は、膏薬辻子(こうやくのずし)と呼ばれています。 何やら、打ち身や捻挫に効きそうに思える道ですが、それらの治療をしてくれる医療機関が密集しているとか、ドラッグストアが軒を連ねているとかいった意味で、その名が付いたのではありません。
12月上旬に京都市上京区の廬山寺に参拝した後、北隣に建つ清浄華院(しょうじょうけいん)にも参拝しました。 清浄華院は、浄土宗四ヵ本山の一つに数えられるお寺で、年に何度か訪れています。 京都御苑の東にあるので、その観光の際に参拝するのがおすすめです。
平安京には、東市(ひがしのいち)と西市(にしのいち)という2つの市場がありました。 人が多く住む場所には、市場は欠かすことができませんから、平安京でも東西の市が設けられていたんですね。 市場のうち西市の西側には野寺小路(のでらこうじ)という小路が面しており、現在その場所には平安京野寺小路跡を示す石碑が立っています。
京都市の中心部を北から南に流れる堀川。 堀川には、西堀川と東堀川の2つがあり、現在の堀川は東堀川を指します。 では、西堀川はどうなったのかというと、紙屋川という名で呼ばれています。 その紙屋川の清流は、平安時代に紙すきのために利用され、紙屋院という製紙工場も造られていました。
京都市右京区の花園に法金剛院というお寺があります。 法金剛院は、花の寺として知られ、四季折々の景色を楽しめます。 境内には、池泉回遊式浄土庭園があり、その北側には、日本最古の人造の滝である青女(せいじょ)の滝があります。
京都市北区の船岡山の西に千本通があります。 千本通の名の由来は、卒塔婆が千本立てられたからだと伝えられています。 この地は、蓮台野と呼ばれ、平安時代には風葬が行われていたことから、卒塔婆がたくさん立てられていたのでしょう。 そして、千本通には、蓮台野墓地の墓守の寺として創建された上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)が今もあります。 また、上品蓮台寺の南には引接寺(いんじょうじ)というお寺も建ち、上品蓮台寺と深い関係があります。
京都に平安京が造営されたのは、この地が四神相応の地だったことが理由として挙げられます。 四神とは、東を守る青龍、西を守る白虎、南を守る朱雀、北を守る玄武の神さまのことです。 そして、四神相応の地とは、東に川、西に道、南に湖、北に山がある土地を指し、これを京都に当てはめると東に鴨川、西に山陰道、南に巨椋池(おぐらいけ)、北に船岡山となります。 これら四神の中で、平安京造営の起点となったのは船岡山と考えられます。
京都府乙訓郡大山崎町のJR山崎駅を出てすぐのところにフェンスで囲まれた土地があります。 どこかの会社が取得し、これからビルでも建てるのかなと思えるような土地なのですが、近くに説明書が設置されており、「山崎駅跡・河陽離宮(かやりきゅう)跡と離宮八幡宮の池跡」と記されていました。 JR山崎駅のかつての駅舎があった場所かと思ってしまいますが、そうではありません。
平安時代に疫病の流行や自然災害が起こると、高貴な人の怨霊の仕業だと考えられていました。 当時の人々は、疫病や自然災害から身を守るためには、恨みを持って非業の死を遂げた人々の怨霊を鎮めれば良いと考え、祭をしたり、神社に祀ったりしました。 これを御霊信仰(ごりょうしんこう)といいます。 京都で夏に行われる祇園祭は、貞観5年(863年)に神泉苑で行われた御霊会(ごりょうえ)が起源ですし、今も京都には非業の死を遂げた人々を祀っている神社が残っています。 今回は、御霊信仰を今も伝えている京都の神社を紹介します。
京都の北、左京区にそびえる鞍馬山。 その鞍馬山には、鞍馬寺があります。 鞍馬山も鞍馬寺もパワースポットして人気があり、奥の院魔王殿には、650万年前に金星から降臨したと言い伝えられている魔王が祀られています。