宗忠神社の東にある陽成天皇神楽岡東陵
京都市左京区の神楽岡には、宗忠神社が鎮座しています。 神楽岡を東に下ったところに立つ鳥居の両脇に逆立ちする狛犬がいることで有名ですね。 その狛犬から東に進むと、左手に開けた土地が見えてきます。 ここは、第57代陽成天皇の御陵、すなわち、陽成天皇神楽岡東陵(ようぜいてんのうかぐらがおかのひがしのみささぎ)。
観光名所、史跡、四季折々の風景を写真とともに紹介するブログ。※アフィリエイト広告を利用していますがポップアップ広告は表示されません。
京都市左京区の神楽岡には、宗忠神社が鎮座しています。 神楽岡を東に下ったところに立つ鳥居の両脇に逆立ちする狛犬がいることで有名ですね。 その狛犬から東に進むと、左手に開けた土地が見えてきます。 ここは、第57代陽成天皇の御陵、すなわち、陽成天皇神楽岡東陵(ようぜいてんのうかぐらがおかのひがしのみささぎ)。
今は、京都らしさの象徴の一つとして観光客から人気の鴨川。 穏やかな流れは、忙しない日々を送る現代人には癒しの風景であり、ただ眺めているだけでストレスが和らぐ人もいるのでは。 でも、その鴨川。 昔は、大雨になると周囲に大きな被害をもたらし、京都に住む者に多大な不安を与えていました。 そういうこともあり、かつての鴨川には、洪水から人々を守るため、治水神が祀られていたと伝えられています。
平安時代末期。 この頃、浄土思想が広まり、その特徴を持つ浄土庭園も造営されるようになっていきました。 現存する代表的な浄土庭園は、京都の場合、宇治市の平等院で見ることができます。
京都には、少ないながらも、平安時代初期に造営された庭園が残っています。 この頃の庭園は、禁苑、すなわち、宮中の庭園として、天皇の離宮や院御所に造営されました。 庭園には、大きな池が配されているのが特徴的で、桓武天皇の神泉苑や嵯峨天皇の嵯峨院、朱雀院などが知られています。 この中で現存している庭園は、神泉苑と現在は大覚寺となっている嵯峨院です。
京都市南区の東寺の北西に六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)という社が建っています。 かつては、広大な敷地を有していた当社ですが、国鉄の新幹線の建設などで境内が削られ、現在はスーパー1店舗分くらいの規模に縮小しています。 それでも、境内の中央には神龍池が残り、往時の面影を今に伝えています。
京都市東山区の八坂神社の東にある円山公園。 桜の名所として知られており、春には国内外から多くの旅行者や観光客が訪れます。 円山公園ができたのは明治になってからですが、かつてはこの一帯は真葛ヶ原(まくずがはら)と呼ばれていました。 平安時代後期に法然上人が夢の中で善導大師と対面したと伝わる真葛ヶ原は、現在の円山公園だったのです。
京都市右京区の嵯峨野に建つ常寂光寺の東。 この付近は、小倉餡発祥の地とされ、今も開発されることなく、のどかな景色が残っています。 その北には、石造りの鳥居が立ち、見る人が見れば、すぐに天皇陵もしくは皇族関係者のお墓だと気づきます。 ここは、嵯峨天皇の第8皇女の有智子内親王(うちこないしんのう)の墳墓です。
京都市上京区の市バス停「天神公園前」から西に約5分歩くと、櫟谷七野神社(いちいだにしちのじんじゃ/いちいだにななのじんじゃ)という神社が建っています。 周辺は住宅街で、旅行者や観光客が訪れることがほとんどない閑静な場所。 だからか、平安時代に斎王が住まった地だと知ると、確かにここは身を清めるのに良いところだったのだろうと思えてきます。
京都市上京区の京都御苑内の西側に梅林があります。 2月から3月にかけて梅の花が咲き、その頃は多くの人が観梅に訪れますが、それ以外の季節に梅林を歩く人の姿は少なめです。 その京都御苑の梅林のあたりは、平安時代初期に藤原基経が住んでいた枇杷殿(びわどの)があったと伝えられています。
京都府宇治市は、宇治川が流れていることから、古くより京都の水上交通の重要拠点でした。 京都と大阪の物資の移動に宇治川が利用され、また、奈良とも大和街道で結ばれていることから陸上交通にとっても重要な拠点でした。 そういった地理的な理由もあり、平安時代には、宇治に貴族たちの別荘が多く建ち並びました。