平安時代一覧

今は団地が建つ尊勝寺跡

京都市左京区の岡崎の辺りには、平安時代、六勝寺と総称される6つのお寺が建っていました。 いずれも歴代の天皇等の御願によって建立されたお寺です。 六勝寺の6つのお寺とは、法勝寺(ほっしょうじ)、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺(じょうしょうじ)、延勝寺です。 このうち尊勝寺は、平安神宮の西にある府営住宅西天王町団地が跡地とされています。

平安時代の福祉施設悲田院の跡地

平安時代、京都には東西2ヶ所に福祉施設が設けられました。 平安時代の東に設けられた福祉施設は悲田院と呼ばれ、京都中の捨て子、孤児、貧窮者、老残者などを収容していました。 その悲田院は、現在の河原町御池の辺りにあったそうです。

河原町の由来となった源融の河原院跡

平安時代、嵯峨天皇の皇子であった源融(みなもとのとおる)は、源氏物語の光源氏のモデルと言われています。 光源氏のモデルですから、当然、源融は貴族であり、宇治に別荘を持つほど優雅な暮らしをしていました。 しかし、摂政の藤原基経の力が強くなったことで、源融は隠棲することになり、鴨川の近くに河原院(かわらのいん)という邸宅に住むことになります。

護王神社の塀に架かる和気清麻呂の物語

京都市上京区の護王神社は、和気清麻呂(わけのきよまろ)を祭神として祀っている神社です。 護王神社には、何度も参拝しているのですが、最近になって気付いたものがありました。 それは、東の塀に20枚以上の絵が架かっていることです。 この絵は、和気清麻呂の物語を描いたもので、平成10年(1998年)10月に和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)千二百年祭記念として塀に掲げられたもののようです。

人臣最初の摂政となった藤原良房の邸宅があった染殿第跡

京都市上京区にある京都御苑は、江戸時代以前は公卿の邸宅がたくさん建ち並んでいました。 現在では、京都御苑を代表する建物は、京都御所や仙洞御所などが一部残っているだけです。 公卿の邸宅があった地には、それを示す立札や石碑がありますが、建物はほとんど残っていません。 京都御苑内の北東には、かつて藤原良房の邸宅「染殿第」がありましたが、こちらも他の邸宅跡と同じく建物は残っていませんね。

白河上皇の熊野詣出立の地・城南宮

京都市伏見区の鳥羽に建つ城南宮は、平安時代後期に院政の舞台となった鳥羽離宮があった地です。 鳥羽離宮は、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇といった歴代の上皇と深いかかわりがあります。 これらの上皇は、熊野詣が大好きで、4人の上皇を合わせると90回ほど熊野に参詣しています。 そして、これら上皇の熊野御幸の出立の地となったのが、現在、城南宮が建つ鳥羽だったのです。

天皇陵を訪れる・鳥羽編

京都には、多くの天皇陵があります。 その中でも、伏見区の鳥羽にある天皇陵ほど歴史的に興味がわく天皇陵はないでしょう。 地下鉄竹田駅の南東にある白河天皇成菩提院陵(しらかわてんのうじょうぼだいいんのみささぎ)、鳥羽天皇安楽壽院陵(とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ)、近衛天皇安楽壽院南陵(このえてんのうあんらくじゅいんのみなみのみささぎ)は、平安時代後期の院政時代の天皇が埋葬されています。 まさに院政が行われた鳥羽の地にふさわしい天皇陵と言えます。

三代目になった熊谷直実鎧掛けの松・金戒光明寺

1月上旬に真如堂にお参りをした後、その隣に建つ金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)を訪れました。 金戒光明寺と真如堂は近くにあるので、どちらかに参拝したら、必ずもう一方にもお参りをします。 本来なら、南西にある高麗門から金戒光明寺の境内に入るものなのでしょうが、先に真如堂にお参りをした関係で、境内の北にある墓地から入ることに。

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源氏物語ゆかりの地・梨木神社と廬山寺

京都には歴史的に有名な事件の史跡が様々な場所に残っています。 そういった史跡を巡るのも、京都散策の魅力のひとつですね。 史跡と言っていいのかどうかわかりませんが、京都は昔からたくさんの物語の舞台ともなっています。 最近では、マンガやアニメの舞台となることもよくあります。 京都を舞台とした作品で特に有名なのが源氏物語です。 源氏物語は、モデルになった実在の人物はいますが、物語は架空の話です。 でも、京都には源氏物語ゆかりの地がいくつもあり、京都市上京区にある梨木神社(なしのきじんじゃ)と廬山寺(ろざんじ)も源氏物語ゆかりの地とされています。