平安時代一覧

西洞院四条にある小野小町の化粧水の石碑

ある日、四条通を西から東に向かって歩いていました。 ここは、車やバスの通りが多く、あまり京都らしさを感じることができない道路です。 でも、こういったところにも歴史を感じることができる場所があるものです。 西洞院通の交差点に差し掛かった時、平安時代の小野小町の史跡があるのに気づきました。

蹴上と義経大日如来の関係

京都市山科区と左京区の堺に蹴上(けあげ)という地名があります。 蹴上の名は、平安時代末期に牛若丸こと源義経が、この地で起こした事件が由来となっており、今もそれを伝えるお地蔵さんがインクラインの広場に残っています。 ところで、義経はどんな事件を起こしたのでしょうか。

平家の親子が建てた建物・白河南殿跡と得長寿院跡

京都市左京区を流れる岡崎疎水に熊野橋という橋が架かっています。 場所は、平安神宮から冷泉通を西に300メートルほど歩いた辺りです。 この熊野橋の西と東には、平安時代の建築物の跡を示す石碑があります。 西にあるのは、白河南殿跡の石碑で、東にあるのは得長寿院跡の石碑です。 偶然なのか必然なのか、白河南殿にあった建物は父が、得長寿院は子が建てたものです。

西賀茂大将軍神社の石柱

京都市北区の西賀茂を歩いていると、大将軍社と刻まれた石柱を発見しました。 大将軍社は、平安遷都(794年)の際に桓武天皇が王城鎮護のために都の四方の隅に祀った社 です。 そのうちのひとつが西賀茂の地にも存在していたんですね。

平安時代の高級住宅街・三条西殿

地下鉄烏丸御池駅から地下鉄四条駅辺りまでは、多くの企業のオフィスや金融機関が建ち並ぶビジネス街となっています。 なので、この付近は、スーツを着たビジネスマンの方がたくさん行き交っており、観光客の方は少なめです。 さすがにビジネス街で見かける方は、どなたも忙しそうです。 でも、上記2つの駅の間にある烏丸三条(からすまさんじょう)は、ビジネスマンの方のちょっとした憩いの場となっています。

藤原道長の史跡にしては寂しい法成寺跡と土御門第跡

平安時代中期。 この時代は、藤原道長とその子の頼通が権勢を振っていました。 藤原頼通と言えば、宇治市にある平等院を建てたことで知られていますが、そのモデルと言われているのが、道長が建てた法成寺(ほうじょうじ)でした。 平等院は世界遺産に登録されているほど立派なお寺なので、法成寺も負けず劣らず豪華なお寺なのでしょう。 境内には、金堂、釈迦堂、薬師堂、五重塔など壮麗な建物がいっぱい。 これだけの建物があるお寺は、一度は見ておきたいところです。

合体大師像は何が合体したの?・乙訓寺

長岡京市の住宅街に乙訓寺(おとくにでら)というお寺が建っています。 創建したのは聖徳太子と伝えられているので、かなりの歴史があるお寺です。 乙訓寺に祀られている本尊は、合体大師像です。 この合体大師像は、文字通り2つのものを合体させて造られています。

菅原道真が大宰府に左遷された時に立ち寄った長岡天満宮

京都市上京区には、菅原道真を祀っている北野天満宮があります。 天満宮と言えば、この北野天満宮が有名ですが、京都市内には他にもたくさん天満宮が建っており、菅原道真が祀られています。 また、京都市内だけでなく天満宮はいろいろなところに建っていますね。 例えば、長岡京市の長岡天満宮もそのひとつです。