京都市は、戦時中に空襲を受けることが少なかった都市です。
それでも、昭和20年(1945年)に入ると1月に東山の馬町が空襲を受け、その後も、右京区の太秦(うずまさ)や上京区の西陣などが被害に遭っています。
日本各地で空襲が激しくなったのを受け、昭和19年に内務省により重要施設の隧道(ずいどう)式防空壕への移転が進められ、京都でも同20年1月から府庁を防空壕に移すための工事が始まりました。
府庁の移転場所に決まったのは、東山七条の私立絵画専門学校裏の丘陵地と蹴上の都ホテルの地下でした。
私立絵画専門学校裏の丘陵地
私立絵画専門学校裏の丘陵地は、現在は地蔵山墓地になっています。
また、私立絵画専門学校は、現在の京都市立芸術大学であり、その校舎は現在の智積院(ちしゃくいん)境内の南に建つ宗務庁の地にありました。
その宗務庁の東側に丘陵地があり、この地下に隧道式防空壕が建設されました。
隧道はトンネルのことで、丘陵地の地下に通路を巡らしていました。
『続・京都に強くなる75章』という書籍によると、地下の総面積は約1,838平方メートル、収容人員は200人の規模だったとのこと。
また、入り口は西側に第1号通路から第3号通路まで3ヶ所あり、南側にも1ヶ所、東側にも2ヶ所あったようです。
現在、智積院の金堂裏には梅林があり、丘の中腹まで続いています。
まだ風が冷たい2月から3月にかけて、赤色や白色の花が咲き、一足早い春の到来を告げます。

智積院の墓地に植わる梅
また、丘は学侶墓地になっており、頂上の芝生が敷かれた一帯に八重紅枝垂れ桜も植えられています。
4月上旬から中旬にかけて、ソメイヨシノより濃いめの紅色の花が頭上から流れ落ちるように咲く姿が見る者を魅了します。

智積院の丘陵地に植わる八重紅枝垂れ桜
この智積院の墓地の南側に地蔵山墓地がありますが、現在は、防空壕内に入れないようになっています。
都ホテルの地下
地下鉄の蹴上駅から北に約3分歩いた場所に建つウェスティン都ホテル京都が、かつての都ホテルです。
ここには、地蔵山墓地の地下よりも規模が大きい隧道式防空壕が建設されました。
総面積は約2,662平方メートル、収容人員は250人。
当時の都ホテルは、現在のウェスティン都ホテル京都と建物配置や地形もほとんど同じなので、その外観を見るだけでも、当時の隧道式防空壕の規模が想像できます。

ウェスティン都ホテル京都
入口は、三条通に面した北側に3ヶ所、東と西に2ヶ所ずつあった模様。
都ホテルは、進駐軍に接収され、昭和24年に隧道式防空壕は埋められています。
隧道式防空壕は昭和20年7月にほとんどが完成したようですが、府庁の移転が行われないまま終戦を迎えました。
工事に要した経費は約193万円だったとのこと。
もしも、府庁が隧道式防空壕に移転するまで戦争が続いていたら、京都の被害は大きくなっており、多くの文化財が失われていたでしょう。