洪水で何度も流された四条大橋が日常生活に必要不可欠な橋になるまで

鴨川に架かる四条大橋は、そこにあることが当たり前になっていますが、昔は、橋が架かっていたり架かっていなかったりということが幾度もありました。

架かっていた橋がなくなる原因のほとんどは洪水。

四条大橋は何度も流失し、架け替えが繰り返されてきたのです。

祇園橋とも呼ばれた

現在の四条大橋は、頑丈にできているので、洪水でそう簡単に破壊されることはありません。

四条大橋

四条大橋

バスが通っても揺れることはなく、地上を歩くのと同じ感覚で渡れる安全な橋。

東のたもとには南座があり、阪急電車を利用する人は、京都河原町駅で下車した後、四条大橋を渡って訪れます。

南座

南座

また、京阪沿線に住む人が、四条河原町や寺町に買い物に行く場合も、祇園四条駅で下車して橋を西に渡る必要があります。

四条寺町付近

四条寺町付近

観光にもショッピングにも必要不可欠な橋。

それが現在の四条大橋。

さて、四条に橋が架かったのは、平安時代末期の永治2年(1142年)と伝えられています。

祇園橋とも呼ばれていましたが、それは、橋から東にまっすぐ進むと祇園社(現在の八坂神社)があったから。

そう、祇園橋は、祇園社への参詣路としての意味を持っていたんですね。

八坂神社

八坂神社

毎年7月に行われる祇園祭では、17日の神幸祭で八坂神社を出発した神輿が北の三条大橋を渡って四条寺町の御旅所に向かいますが、24日の還幸祭では、四条大橋を渡って八坂神社に戻ってきます。

そのため、四条大橋は祇園祭になくてはならない橋と言えます。

京都の歴史を歩く』という書籍では、正安元年(1299年)に成立した『一遍聖絵』に橋の西岸に鳥居が描かれていることが紹介されており、橋より東が祇園社の参詣路であったことが伺えます。

京都発のコンクリート製

四条大橋は、先にも述べたように中世から近世にかけて洪水で何度も流失しており、架橋されていない時期もありました。

天正4年(1576年)の洪水で流失した後、織田信長が修築していますが、その後も洪水による流失は続きます。

また、橋が架かっていたといっても仮橋に過ぎず、大橋と呼べる代物ではなかった模様。

本格的な橋が架かったのは、江戸時代末期の安政4年(1857年)のことで、祇園新地および祇園社氏子町々が費用を負担したそうです。

しかし、このときの橋も明治6年(1873年)の洪水で破壊され短命に終わっています。

その後に架けられた橋は20世紀初頭まで使用され、明治45年(1912年)には、京都発のコンクリート製の橋に架け替えられました。

四条のコンクリート製の橋は、昭和10年(1935年)6月の洪水で、三条大橋や五条大橋が破壊されたにもかかわらず流失せず。

まさに四条大橋と呼ぶにふさわしい橋だったと想像できます。

四条大橋から眺める鴨川

四条大橋から眺める鴨川

しかし、コンクリート製の四条大橋はアーチ型だったこともあり、昭和10年の洪水で流木が川を塞ぎ、市街地の洪水被害を拡大させてしまいました。

ということで、この橋は昭和16年に撤去され、翌17年に現在の四条大橋と交代することに。

橋脚は2本だけなので、川の流れはスムーズ。

川上から流れてきたものが詰まることは、そうそうありません。

桜と四条大橋

桜と四条大橋

橋の南には桜が並び、1本南の団栗橋(どんぐりばし)からは桜越しに四条大橋を眺められます。

しかし、橋を渡る人の足取りは、風景を楽しむ余裕を感じられないほど忙しなく、祇園や河原町に用事のために利用しているに過ぎないといった雰囲気が伝わってくる。

風情を感じる暇もなく人が行き来している光景は、四条大橋が人々の日常生活に溶け込み当たり前の存在になっていることを物語っています。

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