常盤御前が雪をしのいだ松の残株がある寶樹寺

平治元年(1159年)12月に起こった平治の乱は、平清盛が源義朝に勝利したことで終わりました。

しかし、負けた側の源義朝の家族にとっては、ここからが本当の戦い。

平清盛に捕えられると、当然ながら命の保証はないわけですから、とにかくどこかに逃げなければなりません。

義朝の妻であった常盤御前も、今若、乙若、牛若の3人の子供を連れて都から逃げることになりました。

寒さをしのいだ松の木

季節は冬。

雪が降る中、若い女性が3人の幼い子供を連れて旅をするのは過酷なことです。

しかし、都に留まっていたのでは、やがて平清盛の追手に捕えられ、3人の子供の命もどうなるかわかりません。

そのため、雪の中でも、とにかく都を離れ、大和国(奈良県)まで逃げることにしました。

幼い子供たちを連れて逃げることは、容易なことではありません。

それも雪が降る中ですから、思うように進むことができず、都からそれほど離れていない東山まで来たところで、松の木の下で降りしきる雪をしのぐことにしました。

いったんは大和国まで逃げることに成功した常盤御前でしたが、母親が平清盛に捕えられたという報告を受けたことから、母を助けるために3人の子供を連れて、再び都に戻ってきました。

そして、清盛の邸に3人の子供とともに出頭し、母と3人の子供の助命を嘆願しました。

最初は、常盤御前の嘆願を許さなかった清盛でしたが、数日後には、常盤御前が自分に仕えることを条件に母と子を助けることにしました。

しかし、3人の子供は、その後、常盤御前から離され、出家することになります。

寶樹寺に残る松の株と子育て常盤薬師

常盤御前が、3人の子供とともに雪をしのいだと伝えられている松の残株が、東山区の寶樹寺(ほうじゅじ)にあり、「常盤御前雪除けの松」と呼ばれています。

寶樹寺

寶樹寺

寶樹寺は、JR東福寺駅から北に5分ほど歩いた辺りに建っています。

以前は、一ノ橋と呼ばれる橋が近くにあったことから橋詰堂と呼ばれていましたが、宝永3年(1706年)に聖空が中興し、現在の寺名に改めました。

残念ながら、境内に入ることができなかったので、実際に松を見ることはできませんでした。

門の前には、「子どもそだて常盤薬師」と刻まれた石柱があります。

子どもそだて常盤薬師と刻まれた石柱

子どもそだて常盤薬師と刻まれた石柱

寶樹寺の本堂には、本尊の阿弥陀如来立像と薬師如来座像が祀られています。

この薬師如来に常盤御前は、3人の子供の生長を祈願したと伝えられています。

そのため、この薬師如来は、子育て常盤薬師と呼ばれているそうです。

私が訪れた時は、人の気配がなく、普段、寶樹寺に訪れる人が少なそうな印象を受けました。

ここが、常盤御前ゆかりの地であることを知っている人は少なそうです。

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