京都市下京区に命婦稲荷神社(みょうぶいなりじんじゃ)という神社が建っています。
境内が狭く、社殿も小さめで、どこにあるのか探すのもちょっと大変。
そのためか、命婦稲荷神社と聞いても、「そんな神社あったっけ?」とすぐに思いつかない人が多そうです。
でも、鉄輪(かなわ)の井戸と聞くと、「あそこね」と思い出す人は少なくないのでは。
もとは伏見稲荷大社にあった
地下鉄の五条駅から五条通を東に約5分歩き、堺町通で北に曲がってさらに3分ほど歩いた左手に「鉄輪跡」と刻まれた腰くらいの高さの石柱が立っています。
石柱の後ろには、薄くてちょっと頼りない戸があり、これを開けて進んでいくと、右手に鳥居が現れます。

鳥居
ここが命婦稲荷神社。
境内には鬼女が身を投げたと伝わる鉄輪の井戸があり、お参りに来る人より、肝試し感覚で、この井戸見たさに訪れる人の方が多いに違いない。
鳥居の上には「命婦稲荷」と記された額。

命婦稲荷の額
鳥居をくぐった先には、頼りなげな社殿。

社殿
かつて、社殿は伏見稲荷大社が鎮座する稲荷山にありました。
後醍醐天皇が、都落ちをする際、真っ暗な稲荷山を通らなければなりませんでしたが、命宇谷から光が放たれ天皇の道筋を照らしたという。
それを示す石碑が、現在も伏見稲荷大社のおもかる石が置かれている辺りに立っています。
都落ちに成功した後醍醐天皇から、後に「命婦」の冠称を賜り、命婦稲荷に改称したと伝えられています。
昭和になって現在の社が建てられる
命婦稲荷神社は、伏見稲荷大社の分社で、京都市伏見区鍛冶屋町の守護神とされ、家庭円満の神さまとして崇敬されてきました。
現在の下京区堺町通松原下ルに移ってきたのは寛文8年(1668年)のこと。
明治10年(1877年)に小祠廃止の府令にしたがって閉鎖となり、半世紀以上が経過。
ある時、地元の造り酒屋が蔵で何かに触れると手が赤く血に染まり、それが何かと確かめてみると、お稲荷さんの御神体だったそう。
そこで、昭和10年(1935年)に社殿を建て御神体を祀ったのが、現在の命婦稲荷神社です。
もしも、手が血に染まったのを見て、鬼女の祟りと怖れていたら社殿が再建されていなかったかもしれませんね。
命婦稲荷神社は、民家が建ち並ぶ一帯にあるので、近所迷惑にならないよう、騒ぐことなく静かにお参りしましょう。