京都市上京区の京都御苑の東側に京極小学校があります。
その京極小学校の寺町通に面する校舎の近くにいつのまにか「此付近 藤原定家 一条京極第跡」の石碑が立っていました。
説明書と石碑
地下鉄の今出川駅から今出川通を東に5分ほど歩き、寺町通を南に曲がって約2分歩くと、京極小学校の正門が現れます。
そして、正門から数十メートル南下した芝生が敷かれた場所に説明書と石碑が置かれています。

京極小学校の東側
いつ建立されたのか、説明書を確認すると令和4年(2022年)7月だとわかりました。
設置したのは、公益財団法人古代学協会とのこと。
藤原定家は、鎌倉時代の公卿で歌人。
『小倉百人一首』の撰者であることはよく知られています。
父の俊成も『千載和歌集』の撰者として有名。
説明書には、藤原定家が古希を過ぎて権中納言(ごんちゅうなごん)に任じられ、翌年に出家して明静(みょうじょう)との法名をつけたと記されています。
和歌の世界で歌聖(かせい)と讃えられたこと、勅撰集の撰者もつとめたこと、『源氏物語』の校訂に優れた業績を残したことも。
ちなみにここから南に約3分歩いたところに紫式部が『源氏物語』を執筆した地と伝わる廬山寺が建っています。
定家の日記『明月記』は鎌倉時代の基本史料で、その自筆本が孫の為相(ためすけ)を始祖とする冷泉家(れいぜいけ)に伝存しているとのこと。
一条京極第は晩年の邸宅
さて、石碑に刻まれている一条京極第(いちじょうきょうごくてい)は、藤原定家の晩年の邸宅で、亡くなるまでここで過ごしたという。

此付近 藤原定家 一条京極第跡
『小倉百人一首』は、嵯峨野の中院山荘の障子に貼る色紙に定家が名家人の歌を書いたものに補訂を加えて完成させたものと伝えられていますが、その原型の編纂の主要な作業は、ここ一条京極第で行われた可能性が高いようです。
所在地は、平安京の一条大路と東京極大路の交差点の東北辺りとされ、京極小学校の西半部またはその北側の住宅地と推定されています。
ということは、石碑のある東側とは反対の京都御苑の石薬師御門が建つ付近になりますね。

石碑と説明書
一条京極第の石碑から、寺町通を二条付近まで南に歩いたところにも、藤原定家の京極邸跡を示す石碑があります。
フィールドミュージアム京都の「NA040 藤原定家京極邸址」のページによると、寺町二条付近の石碑は、誤解により設置されたもののようです。
2つの石碑の間は徒歩約10分の距離。
寺町二条付近の石碑は、京極邸の推定地として結構惜しかったですね。