宗忠神社の東にある陽成天皇神楽岡東陵

京都市左京区の神楽岡には、宗忠神社が鎮座しています。

神楽岡を東に下ったところに立つ鳥居の両脇に逆立ちする狛犬がいることで有名ですね。

その狛犬から東に進むと、左手に開けた土地が見えてきます。

ここは、第57代陽成天皇の御陵、すなわち、陽成天皇神楽岡東陵(ようぜいてんのうかぐらがおかのひがしのみささぎ)。

9歳で即位した陽成天皇

陽成天皇神楽岡東陵には、市バス停「錦林車庫前」から西に約10分歩くと到着します。

途中、真如堂の境内を赤門から出てそのまま真っすぐ進むと、正面に宗忠神社の鳥居が現れます。

宗忠神社の鳥居

宗忠神社の鳥居

その鳥居と真如堂のちょうど中間地点に陽成天皇神楽岡東陵があります。

敷地への入り口には、木の板でできた宮内庁の案内があり、ここが陽成天皇の陵墓であることを示す。

宮内庁の案内

宮内庁の案内

入口からすぐの場所は、砂利が敷かれ、数メートル先に進入禁止の石造の玉垣。

その奥にも同様の玉垣があり、それに囲まれた中央付近に神明造の鳥居が立つ。

陽成天皇神楽岡東陵

陽成天皇神楽岡東陵

鳥居の奥には、木々が植わるも、鬱蒼とはしておらず、向こうに民家がいくつも見えます。

陽成天皇は、貞観18年(876年)にわずか9歳で父である清和天皇から譲位されています。

清和天皇の御代や貞観年間といった言葉は、京都ではお馴染み。

祇園祭の前身である御霊会(ごりょうえ)が行われたのが、この頃だから、自然と覚えている人が多い。

清和天皇も9歳で即位していることから、2代続けて幼年の天皇が誕生したことになります。

ちなみに清和天皇の立太子は生後8ヶ月であり、陽成天皇は生後2ヶ月であったことから、両天皇は、物心つかないうちに次期天皇となることが決まっていました。

退位は15歳

7歳で即位したのなら、陽成天皇の治世は長かったのではないかと思うでしょうが、即位して8年後の元慶8年(884年)に光孝天皇に譲位しています。

陽成天皇の譲位は、謎に包まれている。

一説によれば、天皇の乳母の子である源益(みなもとのまさる)が、宮中で殴殺された事件に関わったことから退位に追い込まれたと伝えられています。

なぜ、陽成天皇が殺人事件を犯したのか。

その頃、陽成天皇に奇行が見られたからというのが犯行の理由とのようですが、本当にそうなのかと疑問はわきます。

陽成天皇は幼くして即位していますから、政治は、摂政である藤原基経を中心に行われていました。

基経は、陽成天皇の母の高子(たかいこ)の兄。

陽成天皇が自分の妹の子なのですから、基経は威張れる立場にあったので、殺人事件の黒幕ではなさそうに思えます。

ところが、陽成天皇の後に基経が擁立したのは55歳の光孝天皇でした。

普通に考えると、陽成天皇に近い人を次の天皇にしそうなものですが、陽成天皇とは遠い光孝天皇を即位させたところに何か裏がありそう。

仮に陽成天皇が殺人犯だったとしても、天皇をかばって別人を犯人に仕立て上げた方が基経の政界での地位を安定させるのに好都合なはず。

それなのになぜ、基経は陽成天皇を廃して光孝天皇を即位させたのか、謎は深まるばかりです。

この地に眠るであろう陽成天皇に聞いてみないことには、真相はわかりません。

斜めに見る陽成天皇神楽岡東陵

斜めに見る陽成天皇神楽岡東陵

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