7月15日に祇園祭の前祭の宵山を見に行きました。
岩戸山を見終えた後、仏光寺通を西に歩き、木賊山(とくさやま)を見に行きます。
木賊山
仏光寺通沿いには、大人の雰囲気が漂う隠れ家的なお店がいくつか並ぶ。
普段は、人通りが少なく落ち着いて食事できるのでしょうが、宵山期間は大勢の人が行き交い、ガラス張りの店内が丸見え。
交差する観覧者に混ざり、祇園祭ごみゼロ大作戦のボランティアスタッフの方々の姿も。
2,000人のボランティアスタッフのおかげで、快適に宵山を楽しめるのですから、感謝しなければなりません。
西洞院通を過ぎると、木賊山の駒形提灯が見えてきました。

遠くに見える木賊山
この辺りまで来ると、一気に人が少なくなり歩きやすい。
木賊山には、すでに前懸や胴懸が付けられ、巡行の準備はおおむね整っているようでした。

間近で見る木賊山
木賊山は、世阿弥の謡曲「木賊」を題材にしています。
御神体は、信濃国で子供をさらわれた翁が、一人木を刈る姿を表していますが、まだ山には乗っていません。
人が少なく、撮影し放題でしたが、あまり良い写真は撮れず。
暗くて懸装品がよくわからない写真になってしまいました。

木賊山の駒形提灯
元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で焼失した木賊山は、明治5年(1872年)に復興しています。
担いで巡行する舁山(かきやま)ですが、明治20年から数年間は、曳山(ひきやま)だったことがあります。
明治25年に角を曲がる際に車軸が折れたため、再び舁山に戻ったのだとか。
ずっと同じ姿ではなく、時に改良されたりするのが、祇園祭の山鉾の魅力でもあります。
太子山
木賊山から西に歩き、油小路通を南に曲がった先に現れたのは太子山(たいしやま)。

太子山の駒形提灯
前祭の山鉾では、この太子山が南西の端になります。
太子山を見に来る人も少なめで、道路は大して混雑していません。
胴懸は、平成30年(2018年)に復元新調した「紺綴織スガ地花鳥樹・獣孔雀文様ベトナム刺繍」で、生命の樹と守り神・クジャクをモチーフにしています。

太子山の胴懸
宵山の時は、山にビニールが掛けられていたので、写真だと同懸の刺繍がわかりにくいですね。
太子山は、聖徳太子が、四天王寺建立の際、山に入って良材を探し求め、霊験により得た大杉から六角堂を建立した縁起に由来しています。
祇園祭の山は、真松(しんまつ)を立てるのですが、太子山は上の縁起から真杉を立てて巡行するのが特徴的。
山には、すでに真杉が立っていましたが、御神体の聖徳太子は乗っていません。

太子山の全景
旧家を覗き込む人が数人おり、ここでも祇園祭期間お馴染みの屏風祭が行われているのかと思い、私も中を窺うと正面に御神体が立っていらっしゃいました。
お顔までは拝すことができませんでしたが、しっかりお参りしておきましたよ。
油天神山
太子山から油小路通を北に戻り、仏光寺通を横切ると油天神山(あぶらてんじんやま)が立っています。

遠くに見える油天神山
ここも人は少なく、夕涼みにちょうど良い。
油天神山の駒形提灯は、短い間隔で点滅を繰り返し、まるで風でロウソクが揺らめくように瞬く。

油天神山の駒形提灯
山には、ほとんどの懸装品が取り付けられています。

油天神山の水引
平成18年(2006年)に新調した上水引の「翔鷹千花図」は、フランスの国宝級のタペストリー「貴婦人と一角獣」の背景画をモチーフとしています。
胴懸と一体になるものを求めるため、わざわざフランスに飛びデザイン化の許可を得たというのですから、町内の祇園祭への意気込みがよくわかる。
油天神山では、子どもたちが「粽どうですかー、手ぬぐいどうですかー、扇子どうですかー」と大きな声で販売のお手伝いをしていました。
この日、最も元気な声を上げていたのが、油天神山の子供たち。
その圧に耐え兼ね、粽を授かった人も多いのでは。
天明の大火(1788年)の後、町内の復興に尽力した公家の風早家伝来の天神像を御神体として祀る油天神山。
ビルの一角に設けられた授与所の前には天満宮の赤い提灯が灯っていましたよ。

油天神山の授与所
木賊山、太子山、油天神山は、前祭の宵山で最も空いていました。
四条烏丸から歩くより、阪急電車の大宮駅を出て南東に歩く方が混雑しないのでおすすめです。
人が少ない宵山を楽しむなら、木賊山、太子山、油天神山を見に行きましょう。