7月15日に祇園祭の前祭の宵山を見に行きました。
郭巨山を見た後は、四条通を東に歩き、最も賑わう四条烏丸に鉾を見に行きます。
月鉾
時刻は午後8時40分頃。
四条新町の辺りから、四条通は左側一方通行に。
アスファルトが見えないほど、道路は観光客で埋め尽くされているので、各々が気ままに歩くと衝突する危険があります。

大混雑の四条通
リアカーくらいの大きさのゴミ箱は、すでに満杯。
午後6時から歩行者天国になってまだ3時間も経っていないのに大量のゴミ。
宵山の人出の多さがよくわかる。
また、気分が悪くなった人のために救急の車も待機していました。
四条新町を過ぎた南側では、「月」の提灯がよく目立つ月鉾がお囃子の最中。

月鉾
月鉾は、すべての山鉾の中で最重量という。
巡行時には、稚児人形の於菟麿(おとまろ)が乗ります。
真木の先には、三日月が付いていますが、夜だとあまり目立ちません。
前懸や胴懸などの懸装品は豪華なものなのですが、取り巻く人が多く、月鉾に近づけなかったので遠目で眺めるだけ。
天井裏にも、「源氏物語五十四帖」を題材にした扇面散図が描かれていますが、こちらは鉾に上らないと見られません。
函谷鉾
月鉾が右後方に消えていくように人の流れに乗って前に進んでいくと、正面の函谷鉾(かんこほこ)が大きく見えてくる。

函谷鉾
四条烏丸の西に位置するため、人通りも最高潮。
吊るされた提灯を横目に人の間を縫って歩く。

函谷鉾の提灯
授与所では、混雑するほどではないものの、粽を求める人が途絶えません。

函谷鉾の授与所
授与所の向こうには、まばゆく光る駒形提灯。
その駒形提灯に挟まれた函谷鉾の上にも、囃子方がびっしりと乗り込む。

函谷鉾を見上げる
真横を歩けたので、胴懸も間近で見られましたが、ビニールがかかっているため光が反射し写真は上手に撮れていません。
函谷鉾では、6月に祭りの無事と火伏せ祈願のために愛宕神社にお参りし、その際に授かったお札を真木に貼る習わしがあります。
真木の天辺の鉾頭は、函谷関から見た暁の山を表現したもの。
函谷鉾は、斉の孟嘗君が、函谷関を鶏の鳴きまねをして脱出した中国の史話に基づくことから、このような鉾頭にしているんですね。
巡行時には、月鉾と同じく稚児人形の喜多丸君(きたまるぎみ)が乗ります。
函谷鉾と言えば、毎年、京都産業大学の学生さんがお手伝いに駆け付けるのが恒例。
祇園祭は、学生さんのボランティアも活躍しており、7月は京都が学生の街であることをより実感します。
混雑しているためか、それとも午後9時が近づき帰宅する人が多いためか、函谷鉾も月鉾も立ち止まって見ていく人は少なめ。
しかし、自分もその人波に飲み込まれているので、ゆっくり見ていくことはできませんでした。
長刀鉾
四条烏丸の交差点は、東西の人波と南北の人波がぶつかり、速度を遅くしないと歩けない状態。
お巡りさんがスピーカーで左側一方通行を呼びかける。
交差点からは、四条通の北側の歩道を東に歩きます。
前方に長刀鉾(なぎなたほこ)が見えてきました。

長刀鉾
暖色系に輝く駒形提灯が、どことなく優しい。

長刀鉾の駒形提灯
警備員の「立ち止まらないでください」の注意が響き渡っていたので、歩みをゆるめながらの写真撮影。

間近で見る長刀鉾
懸装品も何も見る余裕がない。
さすが、前祭で最も人気がある長刀鉾。
真木の先には大長刀が取り付けられています。
三条小鍛冶宗近が、娘の病気平癒を願って奉納したものと伝えられていますが、現在の大長刀は天保8年(1837年)に金属製は危険とのことで竹製に取り換えられています。
それでも、銀箔が施されているので、地上から見上げれば、本物の長刀だと言われても信じてしまいそうです。
長刀鉾は、巡行時には、唯一、生稚児(いきちご)が搭乗することでも知られています。
お稚児さんは、鉾の上から太平の舞を披露し、7月5日には巡行に先立って会所で稚児舞披露が行われ、また、13日には八坂神社にも社参します。
長刀鉾の授与所は、途切れることなく人が押し寄せている模様。

長刀鉾の授与所
車道からだと、立ち止まって長刀鉾を見ても良さそうな感じ。
歩道を歩くのは失敗でしたね。
15日の宵山では、四条通より南を中心に15基の山鉾を観覧しました。
23基の山鉾全てを見ようと思ったら、夕方に宵山に出かけても時間が足りません。
14日だと、人が少なめなので23基すべて見られるかもしれませんが、15日と16日は難しいでしょう。
全ての山鉾を見るためには、2日に分けたり、日中から時間をかけて見て廻るといった工夫が必要です。