梅雨の終わりに訪れた新島旧邸の通常公開で付属屋と母屋の外観を見た・2026年

7月上旬に行願寺にハスを見に行った後、寺町通を北に約5分歩き、京都市上京区の新島旧邸を訪れました。

新島旧邸は同志社大学の創立者である新島襄(にいじまじょう)が明治時代に住んでいた邸宅。

何気なく前を通ると一般公開が行われており、しかも入場無料とのことだったので立ち寄ることにしました。

和風建築の付属屋

新島旧邸には、京阪電車の神宮丸太町駅から北西に約10分歩くと到着します。

京都市の有形文化財に指定されている門が開き、脇には一般公開中であることを示す縦長の板がかかる。

門

瓦屋根を持つ格子状の門は、江戸時代から続く旧家を思わせる外観。

門をくぐると左手に受付があるので、ここで人数を記入します。

一人で来たので、グループは1、人数も1。

A4用紙の拝観案内をいただいたので、これを見ながら建物を見て廻ることに。

受付近くに建つ和風の建物は、新島襄の両親の隠居場として建てられた付属屋。

付属屋

付属屋

純和風の平屋で、江戸の藩邸にあった住居にならって建てられたと伝えられています。

縁側と柱が赤銅色に塗られているのが、古い神社のよう。

縁側に面している3つの部屋は畳が敷かれ、展示物も置かれています。

付属屋の中

付属屋の中

通常公開では中に入ることができないので、遠目から展示物を眺めるだけ。

写真や書物が展示されているようですが、外からだとよく見えませんね。

付属屋には、他に2部屋あり、また便所も設けられています。

平屋とは言え、7畳間が2つ、6畳間が3つあるので、1LDKのマンションより広め。

母屋の外観

付属屋の南東に2階建ての母屋が建つ。

母屋と付属屋に囲まれた一帯には木々が植栽され、頭上を覆う緑が幾分暑さを和らげてくれる。

母屋

母屋

母屋の入り口は、それほど広くなく畳1畳を立てたくらいの幅。

母屋の入り口

母屋の入り口

母屋の中も、通常公開時は入れません。

2階建ての母屋は、付属屋の柱と同じような赤茶けた色の格子状の窓や柱が白壁に埋め込まれた外観をしています。

母屋の西側

母屋の西側

洋風建築と言われれば洋風建築に見えますし、和風建築と言われれば和風建築にも見える不思議な造り。

拝観案内によると、和洋折衷というより、和に洋を取り入れた建築と記されており、確かに見た目は和の雰囲気が勝っています。

みずみずしさを保つ西洋アジサイが洋を取り入れた母屋とよく調和する。

アジサイ

アジサイ

母屋の東側は、昭和のアパートを思い起こさせるような見た目。

母屋の東側

母屋の東側

新島旧邸は、同志社英学校で教師を務めたアメリカン・ボード宣教師で医師のW・テイラーの助言をもとに、京都の町大工によって明治11年(1878年)に建てられたもの。

ベランダを周囲に配したコロニアルスタイル建築の外観を取り入れたとのことで、それが2階建てアパートのような印象を与えているのでしょう。

特に赤茶色の柱が、赤く塗られたアパートの鉄骨を思い起こさせる。

縁側に張られた板も柱と同じ赤茶けた色。

縁側

縁側

白木のままだと、お寺の縁側とあまり変わらないのでしょうが、色が塗られていることで異国情緒を漂わせています。

コロニアルスタイルは、植民地様式のことで、新島旧邸の母屋も、どことなく東南アジアに建てられた入植者の住居を思わせる。

縁側の南側に植わった木々が、熱帯雨林の一部に見えなくもない。

母屋と付属屋をつなぐ廊下は、和の風情の方が強め。

母屋と付属屋をつなぐ廊下

母屋と付属屋をつなぐ廊下

廊下には壁がなかったので、雨が降ると、下に敷いた板が濡れてしまいそうです。

でも、梅雨なのに板が濡れていないのは、雨が降り込まないよう工夫がされているのかもしれません。

この後は、母屋の内部を鑑賞します。

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