7月15日に祇園祭の前祭の宵山を見に行きました。
綾傘鉾を見た後、大混雑する四条通に出てきました。
ここからは四条通に立つ山鉾を中心に見て歩きます。
四条傘鉾
四条通を西に歩き油小路通との交差点付近までやって来ると、四条傘鉾(しじょうかさほこ)が見えてきました。
四条通はビルが建ち並び、午後8時を過ぎても、それらの窓から漏れる照明やが街灯に照らされ、道路全体が明るい。
宵山期間は、山鉾の駒形提灯も灯っているので、さらに明るさが増しています。

四条傘鉾の駒形提灯
四条傘鉾は、大きな傘と若松を御神体としており、その形は山鉾の古い姿を今に伝えています。

横から見た四条傘鉾
祇園祭の山鉾は、時代が下るに従い、その華麗さを競うように派手になっていきましたが、四条傘鉾は、他の山鉾と比較すると簡素に見える。
明治5年(1872年)にいったん巡行から姿を消し、110年以上経った昭和60年(1985年)に復興を遂げ、同63年から巡行に参加しています。
授与所では、粽を求める人が絶えない。

四条傘鉾の授与所
駒形提灯の前では、何やら人だかりができていたので見に行くことに。
どうやら、これから棒振り踊りが始まるようです。
私も、人だかりに加わり、しばし待つことに。
午後8時20分を過ぎた頃に棒振り踊りの子供たちが現れ、四条傘鉾の前で整列。
先頭の大人がゆっくりと歩き、山鉾巡行でのくじ改めの所作を披露。
続いて、鉦や笛の音色に合わせて棒振り踊りが始まりました。

棒振り踊り
陣取った場所が後方だったので、踊る子どもたちの後ろ姿しか見えない。
それでも、反転してこちらを向くと、斜めに持った棒を地面に差すようにして踊る姿を見ることができました。
この棒振り踊りは、巡行に復帰するにあたって、滋賀県甲賀市の瀧樹神社(たぎじんじゃ)に伝わるケンケト踊りを参考にしたもの。
100年以上も前に途絶えた四条傘鉾ですから、当時の棒振り踊りの再現が難しく、祇園祭の雰囲気に合うケンケト踊りを見つけて復元したそうです。
蟷螂山
四条傘鉾から西洞院通を北に少し歩き、蟷螂山の前にやってきました。

蟷螂山の駒形提灯
蟷螂山は、前祭の中で人気が高い山鉾の一つ。
その理由は、山の上にいる大かまきり。

大かまきり
鎌や手足が動いたり、羽が開いたりと、からくりが施された大かまきりは子供たちの人気が高い。
頂上の大かまきりばかりに人々の目がいくので、下の豪華な御所車はあまり注目されていない印象を受けます。
蟷螂山は、南北朝時代の公卿・四条隆資(しじょうたかすけ)が後村上天皇を守るため壮絶な死を遂げた様が、中国梁時代の昭明太子詩文集「文選」の「蟷螂の斧を以て隆車のわだちをふせがんと欲す」の「蟷螂の斧」のようであったことから、四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのが始まりと伝えられています。
昭和56年に123年ぶりに巡行に加わっています。
宵山期間は、かまきりが運んでくるおみくじも人気。

おみくじを運ぶかまきり
回転するかまきりを見ようと列を作る人や横から覗き込む人で、蟷螂山に多くの観覧者が詰めかけていましたよ。
郭巨山
再び四条通に戻り東に向かうと、郭巨山(かっきょやま)の授与所が賑わっていました。

郭巨山の授与所
今年の巡行で山一番を引き当てたことから、その強運のおすそ分けにあずかろうとする人が多いのかもしれない。
御神体の郭巨が、貧しさゆえに家族を養いきれなくなり、母を守るため子を捨てようと決意したところ、山中で財宝のつまった釜を掘り当てたことから、金運招来の山と言われています。
人だかりは、金運を求めてやってきた人でできあがっている可能性もある。
横から郭巨山を撮影したものの、胴懸や見送りが黒く映って模様が何もわからない写真に。

横から見た郭巨山
夜の宵山でよくある失敗。
胴懸は「花の汀図」と「春雪図」で、見送りは「都の春図」なのですが、写真では判別不能。
郭巨山は、担いで巡行する舁山(かきやま)。
とは言え、現在は、すべての舁山に車輪が付けられているので、辻回し以外で担ぎ上げているところを見ることは滅多にありません。

郭巨山の駒形提灯
舁山に車輪がつきだしたのは、昭和38年頃から。
他の山が車輪をつけても、郭巨山だけは担いで巡行する意気を見せていましたが、昭和43年に車輪をつけることに。
車輪なしの頃は丸一日かかった巡行が、半日に短縮できたというのですから、舁山への車輪装着は画期的だったに違いない。
後の神輿渡御のことを考慮すると、山鉾巡行の時間短縮は望ましいことだったでしょう。
近年は、猛暑の中での巡行が増えていますから、その意味でも、舁山の車輪の貢献は大きいですね。