右京区一覧

金売り吉次の別宅跡・願王寺

京都の町を散策していると、細い路地の奥に小さなお寺や神社を発見することがあります。 一体、何のためにこんなところに建てたのだろうと思って、説明が書かれた案内板があるか見回すのですが、そのようなものは見当たらず、結局、何もわからないまま立ち去ることがほとんどです。 京都市右京区の妙心寺近くにある願王寺も、路地の奥にある小さなお寺です。 しかし、ここには由緒書があり、それを読むと金売り吉次ゆかりの地であることがわかりました。

常盤御前ゆかりの地・源光寺

平治元年(1159年)。 平清盛と源義朝が戦う平治の乱が起こりました。 平治の乱は、最終的に平清盛の勝利に終わり、源義朝は家臣の長田忠致(おさだただむね)の裏切りにより、この世を去りました。 また、平家は、義朝の長男の義平も捕え、六条河原で処刑しました。 他にも義朝には、たくさんの子がおり、平家はその子たちを捕えようと都とその周辺を探索します。 その中には、義朝と常盤御前の間に生まれた3人の男子も含まれていました。

右京区にある2つの人工の池

京都市右京区には、2つの大きな池があります。 ひとつは大覚寺にある大沢池(おおさわのいけ)で、もうひとつは、そこから1kmほど東にある広沢池(ひろさわのいけ)です。 どちらも自然にできた池だと、当初は思っていましたが、実は人工的に造った池だということを知りました。

桜が似合う大沢池の心経宝塔・大覚寺

京都市右京区の大覚寺には、大沢池(おおさわのいけ)という池があります。 この池は、中国の洞底湖(どうていこ)を模したところから底湖と呼ばれ、春になると池の周囲に植えられた桜が花を咲かせます。 ということで、桜がちょうど満開になった頃に大沢池と大覚寺を訪れました。

豊臣秀頼と真田幸村の最期の地は大坂だったのか?

「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり加護島へ」 上のわらべ歌は、大坂夏の陣の終戦後に流行したものです。 豊臣秀頼は、元和元年(1615年)に大坂城で自害し、真田幸村も戦死したことになっています。 しかし、実は、幸村は大坂夏の陣で戦死せず、秀頼を連れて鹿児島に落ち延びたとも伝えられています。

清凉寺の梅2011年

嵯峨野に建つ清凉寺は、梅の名所として知られています。 そろそろ梅が咲き始めているだろうと思い、2月15日に清凉寺に訪れてみました。 そこで、今回の記事では、清凉寺の梅の開花状況をお伝えしたいと思います。

梅宮大社の梅2011年2月15日の状況

京都市右京区に建つ梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、その名のとおり梅の名所として知られています。 境内には35種、550本の梅が植えられているので、十分に梅を楽しむことができますね。 新聞の記事を読むと梅が開花し始めたということだったので、2月15日にその状況を観に行ってきました。

京都の三門いろいろ

京都には、三門と呼ばれる門が建っているお寺がいくつかあります。 三門とは、空、無相、無作の三境地を経て仏国土に至る門という意味で、三解脱門(さんげだつもん)とも呼ばれています。 主に禅宗のお寺に建っていることが多いのですが、それ以外の宗派のお寺でも見かけることがありますね。 今回の記事では、京都のお寺にある三門を紹介したいと思います。

渡月橋越しの嵐山の眺め

京都の嵐山に観光や旅行で訪れた時、必ずと言っていいほど、渡るのが渡月橋。 観光シーズンともなると橋の上の車道も歩道も大渋滞となり、なかなか動けなくなります。 歩道が渋滞するのは、多くの方が、橋の上から嵐山の風景を眺めるために立ち止まることが原因です。 急いでいる時には、歩道で立ち止まらないで欲しいと思うのですが、やはり、嵐山の風景が目に入ると、ついついゆっくりと歩きたくなる気持ちがわかります。