京都市東山区の八坂神社の東にある円山公園。
桜の名所として知られており、春には国内外から多くの旅行者や観光客が訪れます。
円山公園ができたのは明治になってからですが、かつてはこの一帯は真葛ヶ原(まくずがはら)と呼ばれていました。
平安時代後期に法然上人が夢の中で善導大師と対面したと伝わる真葛ヶ原は、現在の円山公園だったのです。
真葛ヶ原のご対面
京阪電車の祇園四条駅から東に約5分歩き、八坂神社の境内を横切ると円山公園に到着します。
さらに公園内を東に5分ほど歩くと円山弁天堂が現れ、そこから坂道を北に上った先に安養寺が建っています。
この辺りが法然上人が吉水草庵を結んだ地と伝えられています。
安養寺の説明書によれば、現在の円山公園を中心とし、北は知恩院の三門前、南は雙林寺に及ぶ一帯が真葛ヶ原だったそうです。
真葛、薄、茅などが一面に生い茂り、萩の名所でもあったとのこと。

円山公園
円山公園には池が設けられていますが、これがなく、誰も手をつけていなければ、一面が原野であったことは、なんとなく想像できますね。
比叡山で修業していた法然は、仏教の基本的実践として規定された戒、定、慧の三学と真剣に取り組むも、自分は三学を学習し、実践するに堪えない存在だとの思いが募るようになり、やがて三学により「生死をはなれる」という方法に見切りをつけます。
その後、法然は、恵心僧都源信(えしんそうづげんしん)が著わした往生要集を介して、唐の善導大師の「称名念仏の一行によって必ず往生を成し遂げ、生死を離れることができる」という深い宗教体験に触れ、次第に大師に傾倒していきました。
そして、善導大師の著書を再三熟読し、「心乱れたままで、ただ阿弥陀仏のみ名を称えさえすれば、本願のみこころによって必ず往生ができる」という確信を持つにいたります。
26年間修業をした比叡山を下りた法然は、吉水草庵に移り、30年以上ひたすらここを念仏興行、自行化他の道場としました。
そんなある時、紫雲がたなびき、雲間より美しい光が射し、クジャクやオウムなど百宝の色鳥が光を放ちながら舞い降りてきたという。
法然は、急いで山腹に登り西方を見やると、半金色に輝いた高僧が雲に乗って現れ、彼を励まし讃嘆しました。
その高僧こそが善導大師で、この時の出会いを「真葛ヶ原のご対面」といいます。
吉水草庵の跡地
安養寺の本堂外陣正面の鴨居に「吉水草庵」の額がかけられています。
東本願寺の23世法主の光演(彰如)の筆によるものです。

安養寺の本堂
この額を書くにあたっては、当地が本当に吉水草庵の跡地であるのかという懸念があったそうです。
学者の間でも論争が交わされている時に東本願寺の門主が「吉水草庵」と書くと、ここをその跡地として認めたことになる。
浄土宗にとっても浄土真宗にとっても、吉水草庵は重要な意味を持っていたので、軽はずみにここが吉水草庵で確定だと言うことはできません。
最終的に真宗の歴史学者が議論を重ねた末、安養寺が建つ地が吉水草庵の跡地だとの結論が出され、「吉水草庵」の額が当寺に贈られることになったそうです。
また、当地を吉水(よしみず)というのは、ここから名水が湧いたことが由来で、円山弁天堂には、今も吉水の井が残っています。

吉水の井
鎌倉時代の刀工の粟田口藤四郎吉光は、この名水で刀を鍛え有名になったと伝えられていますね。
なお、安養寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。