古来より、火の災厄から家を守る神さまとして祀られてきたのが三宝荒神(さんぽうこうじん)です。
また、竈(かまど)で食べ物を煮炊きする際、火を使うことから、火の力に感謝するとともに火災から身を守るため、竈神(かまどがみ)も各家庭の台所に祀られてきました。
京都には、三宝荒神や竈の神さまを祀るお寺や神社がいくつかあり、前者は護浄院、後者は平野神社や北野天満宮の竈社(かまどしゃ)が有名です。
護浄院
京阪電車の神宮丸太町駅から北西に約10分歩いた荒神口通に面して山門を開く護浄院は、日本最初の三法荒神を祀るお寺とされ、清荒神(きよしこうじん)の通称で親しまれています。
山門は北を向いているのですが、三法荒神を祀る荒神堂は南向き。
その前には石造りの鳥居が立ち、神仏習合の面影を残す。

清荒神
女神である三宝荒神は、如来荒神(にょらいこうじん)、鹿乱荒神(からんこうじん)、忿怒荒神(ふんぬこうじん)の三身を指します。
インドの仏典には出てこず、日本の密教僧が新たに作った神さまの性格に近い仏さまとされています。
護浄院に祀られる荒神像は、宝亀2年(771年)に光仁天皇の皇子である開成親王が、摂津の勝尾山で修業中に鬼神となって現れた三法荒神の姿を彫ったものと伝えられ、宮中で崇敬されていたとのこと。
後に後小松天皇が下京区醒ヶ井通高辻(さめがいどおりたかつじ)に遷し、さらに慶長5年(1600年)に王城守護のため、京都御所の東の現在地に祀ったという。
そのお姿は、8つの顔と8本の腕を持つ八面八臂(はちめんはっぴ)ということですが、秘仏のため拝んだことはありません。
かつては、家に竈があり、その上に護浄院で授かった荒神札を祀っていたようですが、現代の家庭で竈を置いているところは少なく、台所に火の用心の札を祀っているのを時々見かける程度です。
昔と比べると、家庭での火の使用が随分と安全になったので、そういった風習も忘れられてきているのでしょう。
北野天満宮の竈社
一方の竈神は、奥津日子神(おきつひこのかみ)、奥津比売命(おきつひめのみこと)、迦具土(かぐつち)の三神を指すのが一般的です。
京都市北区の平野神社に祀られている久度大神(くどのおおかみ)も、竈の神さまとして崇敬されていますが、京都で竈を「おくどさん」というのは、これに由来するといわれています。
平野神社の南東に位置する北野天満宮の境内に建つ竈社(かまどしゃ)は、庭津彦神(にわつひこのかみ)、庭津姫神(にわつひめのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)の三神を祀る台所の守り神です。

竈社
竈神の三神のうち迦具土と火産霊神は同じ神さまですが、残りの二神は、竈社の祭神と異なっています。
奥津日子神と奥津比売命は古事記の竈神です。
一方の庭津彦神と庭津姫神は、北野天満宮の説明書によると、家庭の守護神となっています。
なぜ、竈社の祭神が、古事記の竈神と異なるのかわかりませんが、もともと天満宮の神さまへのお供えを調理していた御供所(ごくしょ)のかまどに竈社の祭神が祀られていたそうです。
なお、社殿の床下には、昔から使われてきた大釜が納められています。
北野天満宮の説明書には、「かまどの神については中国にも同様の信仰があり、この神を台所に祭ると福を招くとして守り継がれている」とも記されていました。
その昔、密教僧が新たに作った三法荒神は、もしかすると、中国のかまどの神を祀る信仰が日本に伝えられたことと関係しているのかもしれません。
三宝荒神の仏さまが三身、竈神の神さまが三柱というのも、何か関係がありそうです。