京都の歴史一覧

平家全盛期にだけ並存した2つの三十三間堂

京都市東山区には、三十三間堂というお寺があります。 この三十三間堂、実は平安時代に2つあったことをご存知でしょうか。 ひとつは、今現在も存在している正式には蓮華王院(れんげおういん)という三十三間堂です。 もうひとつは、得長寿院と呼ばれていた三十三間堂です。 今回の記事では、蓮華王院と得長寿院を比較しながら紹介したいと思います。

道路に建っている島原大門

京都市下京区の西本願寺の西側、JR丹波口駅の東側の町中の道路に古風な門が建っています。 お寺の門なのかと思ってくぐってみると、その先も道路。 一体、この門はどういったものなのかと思い、近くにあった説明書を読んでみると島原大門(しまばらおおもん)であることがわかりました。

京都御苑内の幕末の史跡

京都市上京区にある京都御苑は、幕末の史跡が多いことで知られています。 京都御苑だけでなく、京都市内には、たくさんの幕末の史跡が存在しているのですが、時代を動かした大きな事件が起こったところと言えば、京都御苑が一番ではないでしょうか。 猿ヶ辻の変、八月十八日の政変、蛤御門の変、小御所会議。 これらは、全て京都御苑で起こった幕末の重大事件でした。

下京区の源氏ゆかりの地を歩く

京都にはたくさんの史跡があります。 街を歩いていると、史跡の案内板や石碑が置かれているのに気付く方も多いのではないでしょうか。 私もある日、京都駅や四条烏丸などがある下京区を歩いていると「源氏ゆかりの地」と書かれた案内板を発見しました。

平重衡の運命を変えた南都焼討・安福寺

治承4年(1180年)5月。 以仁王(もちひとおう)が源頼政とともに平家追討のために挙兵します。 以仁王側には園城寺(おんじょうじ)などの僧も加わりましたが、最終的に平家によって鎮圧されました。 この挙兵に僧が加わったことが、後に平家による南都焼討へとつながり、その時の総大将であった平重衡(たいらのしげひら)の運命を変えることになります。

近藤勇を狙撃せよ

京都の街を歩いていると今まで何もなかった場所にいつのまにか石碑が置かれているということがよくあります。 伏見区の京阪墨染駅から西に10分ほど緩やかな坂を下って行ったあたりにも、平成21年(2009年)12月に建立されたばかりの石碑があります。 その石碑には、「この付近 近藤勇 遭難の地」と刻まれています。

幕末の冤罪事件・天満屋騒動

慶応3年(1867年)11月15日。 この日、京都市中京区の近江屋で坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺されました。 暗殺したのは京都見廻組の今井信郎というのが通説となっていますが、当時は、2人を暗殺したのは新撰組と思われていました。