平清盛の塚がある六波羅蜜寺

治承5年(1181年)閏2月4日。

この日、貴族中心の政治から武家政治への転換の基礎を作った平清盛が亡くなりました。

京都市東山区の六波羅蜜寺には、その平清盛の塚があります。

清盛を苦しめた熱病

下の写真に写っているのが、平清盛の塚です。

六波羅蜜寺の平清盛の塚

六波羅蜜寺の平清盛の塚

以前は屋根がなかったのですが、新たに設置されたようです。

平清盛が亡くなった場所は、九条河原口の平盛国の邸宅でした。

平盛国は、清盛の祖父正盛の従兄弟です。

祖父の従兄弟となると清盛にしてみれば遠縁です。

2人の間には、交流もほとんどなかったのですが、この年、盛国が88歳を迎えたので、米寿の祝いに清盛が彼の邸宅に訪れたのです。

盛国といろいろな話をした後、自宅に帰ろうとした清盛は、急に頭痛を訴えます。

その痛みは激しくて、自宅に帰ることもできず、清盛は盛国の邸宅で休むことにしました。

しかし、清盛の体調は何日経っても良くならず、彼は、毎日、高熱にうなされ続けました。

あまりの高熱だったため、氷を入れた水風呂に清盛がつかると、水がお湯に変わったと伝えられています。

清盛の病気は、都の人々にも広まり、あちらこちらで様々な噂がささやかれるようになりました。

その噂の中には、興福寺を焼き討ちした仏罰だというものもありました。

ついに清盛は、熱病に勝つことができず、64歳でこの世を去りました。

清盛が亡くなる半年ほど前、平治の乱で命を助けた源頼朝が平家追討のために挙兵しました。

このことが許せなかったのか、清盛は亡くなる前に「頼朝の首をわが墓前に供えよ」と言い残したと伝えられています。

熱病はマラリア

平清盛を苦しめた熱病は、マラリアだったというのが現代の通説となっています。

ただ、マラリア説には、懐疑的な意見もあるようです。

「徒然彩時記」さんの以下の記事によると、マラリアは蚊を媒介して感染するため、夏場や秋口に発症するのが一般的で、清盛が亡くなった閏2月4日は現代の3月にあたることから、季節的に合わないといった旨のことが書かれています。また、記事の中では、医師が著した4冊の書籍も紹介されており、それらの中でマラリア説が否定的だとも述べています。

他にも「日本民謡BLOG」さんの平清盛の死因の記事では、性病説も採り上げられています。

平清盛を死にいたらしめた病気がマラリアなのかどうかは、わかりませんが、高熱にうなされたということは争いがないようですね。

なお、六波羅蜜寺については以下のページを参考にしてみてください。



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