京都の歴史一覧

「秀吉の道」を読みながら天王山の山頂へ

京都府乙訓郡大山崎町には、天王山があります。 「天下分け目の天王山」という言葉は、大山崎町の天王山が語源で、天正10年(1582年)6月13日に羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決した地として知られています。 山崎の戦いで勝利した羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、その後、次々とライバルを打ち破っていき、やがて天下統一を果たすことになります。 この羽柴秀吉の天下統一の第一歩となった山崎の戦いの解説を記した「秀吉の道」という大きな板が、天王山の麓から山頂まで全部で6つあります。

坂本竜馬とお竜の出会いの地

坂本竜馬は、日本で初めて新婚旅行をしたことで知られています。 旅行先は現在の鹿児島県です。 竜馬の結婚相手は、お竜という女性です。 竜馬とお竜が出会った場所は、現在の京都市東山区で、そこには土佐志士寓居跡の石碑があります。

松平春嶽の京都の拠点・福井藩邸跡

京都市中京区に京都国際ホテルというホテルが建っています。 その京都国際ホテルの敷地の南西の端には、福井藩邸跡の石碑があります。 福井藩と言えば、幕末に藩主となった松平慶永(まつだいらよしなが)が有名です。 ちなみに松平慶永は、松平春嶽(しゅんがく)の名でも知られています。

豊臣秀頼と真田幸村の最期の地は大坂だったのか?

「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり加護島へ」 上のわらべ歌は、大坂夏の陣の終戦後に流行したものです。 豊臣秀頼は、元和元年(1615年)に大坂城で自害し、真田幸村も戦死したことになっています。 しかし、実は、幸村は大坂夏の陣で戦死せず、秀頼を連れて鹿児島に落ち延びたとも伝えられています。

応仁の乱の西軍の本陣が置かれた山名宗全邸宅跡

京都は、長い歴史の中で何度も戦乱によって焼失しています。 中でも室町時代に起こった応仁の乱(1467年)は、11年に渡って東軍と西軍が戦い、京都の町は壊滅的な状態となりました。 被災地域は、京都の3分の1にも及んだと伝えられています。 現在の京都市上京区の堀川上立売(ほりかわかみだちうり)の辺りには、山名町という地名が残っています。 この山名町には、西軍を率いた山名宗全の邸宅があったことで知られています。

平家全盛期にだけ並存した2つの三十三間堂

京都市東山区には、三十三間堂というお寺があります。 この三十三間堂、実は平安時代に2つあったことをご存知でしょうか。 ひとつは、今現在も存在している正式には蓮華王院(れんげおういん)という三十三間堂です。 もうひとつは、得長寿院と呼ばれていた三十三間堂です。 今回の記事では、蓮華王院と得長寿院を比較しながら紹介したいと思います。

道路に建っている島原大門

京都市下京区の西本願寺の西側、JR丹波口駅の東側の町中の道路に古風な門が建っています。 お寺の門なのかと思ってくぐってみると、その先も道路。 一体、この門はどういったものなのかと思い、近くにあった説明書を読んでみると島原大門(しまばらおおもん)であることがわかりました。

京都御苑内の幕末の史跡

京都市上京区にある京都御苑は、幕末の史跡が多いことで知られています。 京都御苑だけでなく、京都市内には、たくさんの幕末の史跡が存在しているのですが、時代を動かした大きな事件が起こったところと言えば、京都御苑が一番ではないでしょうか。 猿ヶ辻の変、八月十八日の政変、蛤御門の変、小御所会議。 これらは、全て京都御苑で起こった幕末の重大事件でした。

下京区の源氏ゆかりの地を歩く

京都にはたくさんの史跡があります。 街を歩いていると、史跡の案内板や石碑が置かれているのに気付く方も多いのではないでしょうか。 私もある日、京都駅や四条烏丸などがある下京区を歩いていると「源氏ゆかりの地」と書かれた案内板を発見しました。