京都の歴史一覧

池田屋事件の跡地は今どうなっているのか?

前回の記事では、新撰組の最後の屯所について紹介しましたが、今回も新撰組について少々書いてみたいと思います。 新撰組は、幕末の京都の治安維持に務めた組織だったのですが、この新撰組を有名にした事件が、元治元年(1864年)6月に起こります。 それは、池田屋事件と呼ばれますが、では、この事件はなぜ起こったのでしょうか?

新撰組最後の屯所

江戸幕府末期、当時の政局は京都で動いていました。 開国か攘夷(外国人を追い払うこと)か。勤王(天皇中心)か佐幕(江戸幕府中心)か。 そんな時代に京都の治安にあたったのが新撰組でした。 新撰組の屯所として有名なのは結成当時の壬生の八木邸ですが、その後、西本願寺に移り、最後の屯所となったのは不動堂村です。

京都にもあった大仏・方広寺

京都に関する勘違いに「京都には大仏がある」といったものがあります。 大仏があるのは奈良で、京都には現在、大仏はありません。 京都やその近隣に住んでいる方は、わかっていることなのですが、京都から離れたところにお住まいの方は、意外と奈良と京都について勘違いされることがあるようです。 ただ、京都に大仏があるということも、あながち間違ってはいません。正確には、「京都にも大仏があった」ということになりますが。

天神信仰のはじまり・文子天満宮

京都で天神様と言えば、学問の神様である菅原道真のことを指します。 そして、菅原道真が祀られているのが北野天満宮ということもあって、受験の時期になると多くの受験生が合格祈願に訪れます。 でも、菅原道真を最初に祀ったのが、北野天満宮ではなく文子天満宮(あやこてんまんぐう)であるということは、あまり知られていません。

金戒光明寺と会津藩

京都市左京区に金戒光明寺というお寺があります。 場所は、平安神宮から北東に5分程度歩いたところで、近くには真如堂や吉田神社もあります。 金戒光明寺は、浄土宗のお寺なのですが、会津藩と所縁のあるお寺でもあります。

武家政治の確立と終焉の地・鳥羽

これまで3回にわたって鳥羽にある名所旧跡を紹介してきましたが、今回は鳥羽の歴史について書いてみようと思います。 鳥羽が歴史に登場するのは、鳥羽離宮の造営の他に武家政治に影響を与えた2つの有名な事件があります。