猿に見られたテロ事件・猿ヶ辻の変
京都御苑内にある京都御所は、四方を壁で囲まれています。 その壁の東北の角の折れ曲がった部分の屋根には猿がおり、それに由来して、この辺りは猿ヶ辻と呼ばれています。
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京都御苑内にある京都御所は、四方を壁で囲まれています。 その壁の東北の角の折れ曲がった部分の屋根には猿がおり、それに由来して、この辺りは猿ヶ辻と呼ばれています。
新撰組が京都に登場したのは、文久3年(1863年)です。 その翌年には、新撰組を有名にした池田屋事件や蛤御門の変が起こっています。 当時の新撰組は、壬生の八木邸を屯所としていましたが、やがて隊士が増えてくると手狭になったため、もっと広い場所に屯所を移転する必要が出てきました。 そこで、慶応元年(1865年)3月10日に第2の屯所に移転することになります。 その第2の屯所が、現在、世界遺産に登録されている西本願寺です。
平治元年(1159年)に起こった平治の乱で、平清盛が源義朝に勝ち、以後20年以上に渡る平家全盛期が訪れました。 しかし、清盛が亡くなって、すぐに平家は衰退し、壇ノ浦の戦い(1185年)で源氏に滅ぼされることになります。 その時、平家を滅ぼした源氏の武将が、源義経でした。
幕末の事件によく登場する宿のひとつに京都市伏見区の寺田屋があります。 例えば、慶応2年(1866年)には、坂本竜馬が宿泊中に伏見奉行所に捕えられそうになるといった事件が起こったりしています。 坂本竜馬危機一髪・寺田屋 この時の事件は、寺田屋で起こった事件の中でも歴史的に有名なのですが、その4年前の文久2年(1862年)4月23日には、薩摩藩の内部抗争があり、9名の犠牲者を出した寺田屋事件も起こっています。
毎年、春と秋に特別公開される京都御所は、雅な観光名所として人気があります。 しかし、京都御所は、今の雅なイメージからは想像できませんが、平安時代末期には、平治の乱の戦場となったことで知られています。
京都は、山に囲まれた盆地で中心部は平たん。 そして、碁盤目状に通りが造られていることから、交通渋滞を無視すれば、移動がしやすい街と言えます。 しかし、安土桃山時代の京都は、周囲を壁で囲んだ城郭都市だったため、京都の内から外への移動は非常に不便でした。
京都に観光や旅行でお越しになる方の中には、新撰組ゆかりの地を訪ずれることを目的とされている方も多いのではないでしょうか。 そういった方にとって欠かすことができないのが、壬生の八木邸と壬生寺内にある壬生塚でしょう。
天正10年(1582年)6月2日未明、京都で歴史を変える大事件が起こりました。 それは、後に本能寺の変と呼ばれることになります。
幕末の京都の治安維持にあたった組織として有名なのが新撰組。 結成されたのは、文久3年(1863年)3月ですが、その舞台となったのが中京区の壬生に建つ八木邸です。
平安時代末期の源平の争乱は、壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が滅亡したことによって終わりを告げます。 それにより、源頼朝が鎌倉幕府を開くことになったわけですね。 源平の争乱は、簡単に言うと源氏と平家といった2つの武家の争いなのですが、そのきっかけを作ったのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱でした。