京都の歴史一覧

豊臣秀吉の城下町京都・御土居跡

京都は、山に囲まれた盆地で中心部は平たんとなっています。 そして、碁盤目状に通りが造られていることから、交通渋滞を無視すれば、移動がしやすい街と言えます。 しかし、安土桃山時代の京都は、周囲を壁で囲んだ城郭都市だったため、京都の内から外への移動は非常に不便でした。

新撰組と壬生塚

京都に観光や旅行でお越しになる方の中には、新撰組所縁の地を訪ずれることを目的とされている方も多いのではないでしょうか。 そういった方にとって欠かすことができない新撰組所縁の地は、壬生の八木邸と壬生寺内にある壬生塚でしょう。

源為朝が射抜いた石・平岡八幡宮

源平の争乱の始まりとなったことで有名なのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱です。 保元の乱の時は、まだ源氏と平家が戦うというよりも朝廷を中心とした争いに源氏と平家が参加したという形でした。 乱の原因は、後白河天皇と崇徳上皇との間の権力争いだったのですが、その争いに源氏も平家も身内同士で戦うことになります。 特に源氏は、父の源為義と長男の義朝が敵味方となって戦い、義朝の弟たちは父・為義につきました。 そして、その弟達の中には、弓の名手として知られる源為朝も混ざっていたのです。

新撰組結成の地・八木邸

幕末の京都の治安維持にあたった組織として有名なのが新撰組。 新撰組が結成されたのは、文久3年(1863年)3月ですが、その舞台となったのが中京区の壬生に建つ八木邸です。

平安神宮付近で勃発した保元の乱

平安時代末期の源平の争乱は、壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が滅亡したことによって終わりを告げます。 そして、平家滅亡によって源頼朝が鎌倉幕府を開くことになったわけですね。 源平の争乱は、簡単に言うと源氏と平家といった2つの武家の争いなのですが、そのきっかけを作ったのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱だったのです。

お茶でつながる高山寺と建仁寺

普段の生活の中で、よく親しまれている飲み物としてすぐに思いつくのがお茶ではないでしょうか。 おそらく、今までに一度もお茶を飲んだことがないという方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。 それどころか、一日一度は必ずお茶を飲むという方も多いことでしょう。 そんな親しみ深いお茶ですが、日本最古の茶園が、京都市右京区の北の方の栂尾(とがのお)に建つ高山寺の境内にあります。

千利休切腹の原因となった大徳寺の三門

安土桃山時代の茶人として有名な人物といえば千利休ですよね。 千利休は、豊臣秀吉の帰依を受けて茶道を普及させていき、天正15年(1587年)には北野大茶の湯といった一大イベントに深く関わるなど、秀吉との仲も非常によく、政治についても秀吉の良き相談相手でした。 ところが、利休は天正19年に秀吉から突如切腹の命を受け、70歳でその生涯に幕を閉じました。

高瀬川の開削によって供養された豊臣秀次

観光や旅行で京都に訪れた時に京都らしさを感じるもののひとつとして挙げられるのが鴨川です。 三条大橋や四条大橋から鴨川の流れを見ると京都に来た実感が湧いてくるという方も多いのではないでしょうか。 京都らしさを感じる川は、鴨川の他にもいつくかあります。 鴨川のやや西にある木屋町通に沿って流れている高瀬川もそのひとつですね。