「京都の歴史」一覧

近藤勇を狙撃せよ

京都の街を歩いていると今まで何もなかった場所にいつのまにか石碑が置かれているということがよくあります。 伏見区の京阪墨染駅から西に10分ほど緩やかな坂を下ったあたりにも、平成21年(2009年)12月に建立されたばかりの石碑があります。 その石碑には、「この付近 近藤勇 遭難の地」と刻まれています。

幕末の冤罪事件・天満屋騒動

慶応3年(1867年)11月15日。 この日、京都市中京区の近江屋で坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺されました。 暗殺したのは京都見廻組の今井信郎というのが通説となっていますが、当時は、2人を暗殺したのは新撰組と思われていました。

織田信長も築城した二条城

京都に建つお城と聞いてすぐに思いつくのは、中京区の二条城ですよね。 この二条城は、慶長8年(1603年)に徳川家康によって京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として造営されたものです。 二条城と言えば、通常、徳川家康の二条城を指しますが、実は家康が二条城を造営する以前にも二条城が存在していたことをご存知でしょうか。

六波羅と西八条にあった平清盛の邸宅

平安時代、京都市東山区の京阪電車の清水五条駅から七条駅あたりまでの地域を六波羅といいました。 六波羅は、平清盛の邸宅があったことで知られています。 彼の邸宅は、他に下京区の西八条にもありました。 もちろん、清盛はどちらの邸宅にも住んでいました。

三条河原にさらされた足利将軍の木像の首

前回の記事では、室町幕府の史跡が質素だということを紹介しました。 その理由は、長い間、足利尊氏が後醍醐天皇に刃向かった逆賊という評価を受けていたことによるのではないかと言われています。 足利尊氏は14世紀の人物であるのに、彼への偏見は戦時中まで続きます。 特に幕末には、天皇を敬う尊王思想が流行したことから、尊氏に対する批判は強いものがあり、その偏見は、足利将軍木造梟首(きょうしゅ)事件へと発展しました。

室町幕府の史跡は質素

鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。 いずれも武家の棟梁が築いた政治体制で、征夷大将軍になったのは全て源氏です。 源氏といえば、坂東武者というイメージが強いので、鎌倉幕府や江戸幕府のように政治の中心を関東に置いたことは当然のことだと思います。 しかし、室町幕府は関東ではなく、京都を政治の中心としました。 足利尊氏が京都に幕府をつくったことで、北山文化や東山文化が開花し、そのおかげで今日、金閣寺や銀閣寺に観光に行けるのですから、感謝しなければなりませんね。 ところで、室町幕府の史跡を観たことがあるでしょうか。 江戸城のように大きなものが存在していても良さそうなのです...

応天門の変で衰退した住吉大伴神社

きぬかけの道を龍安寺から仁和寺に向かうちょうど中間地点に住吉大伴神社という神社が建っています。 あまり大きな神社ではないため、多くの観光客の方は、この神社を素通りしていきます。 しかし、住吉大伴神社の創建は古く、ある事件が起こらなければ、京都を代表するような神社になっていたかもしれないのです。