京都市左京区の哲学の道の東側の通りに安楽寺というお寺が建っています。
当寺は、鎌倉時代の宗教弾圧と関係があることで知られています。
松虫、鈴虫の落飾と建永の法難
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、宗教の世界では浄土宗を開いた法然が活躍していました。
法然の教えを受けて出家した人は多く、有名な所では源平合戦の際に平敦盛を討ち取った熊谷直実がいます。
同様に武士を捨てて法然の弟子となった人の中には、住蓮と安楽という2人の僧もいました。
2人とも美しい声を持っており、彼らが毎日唱える念仏には思わず聞き入ってしまうほどだったとか。
そんな彼らの美声に魅力を感じたのが、松虫と鈴虫の姉妹。
彼女達は、後鳥羽上皇に仕える女御(にょうご)で、容姿は美しく、上皇から寵愛されていました。
建永元年(1206年)12月。
後鳥羽上皇が熊野詣のため京都を留守にしている間に事件が起こりました。
松虫と鈴虫が、住蓮と安楽に魅かれて出家してしまったのです。
2人が髪を下ろしたことを知った後鳥羽上皇は、「よくも自分がかわいがっていた2人の姉妹をたぶらかして出家させたな」と激怒。
そして、住蓮と安楽を捕えて鴨川の河原で処刑し、2人の師の法然にも念仏を唱えることを禁止して讃岐に島流しにしました。
さらに法然の弟子の親鸞までも越後に流罪となりました。
この後鳥羽上皇の浄土宗に対する弾圧は、建永の法難と呼ばれています。
住蓮と安楽の菩提を弔うために建立された安楽寺
建永の法難以後、浄土宗は迫害を受けていましたが、住蓮と安楽の菩提を弔うために、天文年間(1532-1555年)に現在地に伽藍が再建されました。

安楽寺
境内には、住蓮と安楽の五輪石塔や松虫と鈴虫の供養塔があります。
こちらは、松虫と鈴虫の供養塔で、境内の南東に立っています。

松虫と鈴虫の供養塔
境内の南側には、住蓮と安楽が処刑される際に詠んだ歌が刻まれた歌碑も。

住蓮と安楽の歌碑
住蓮の辞世の歌は以下になります。
極楽に 生まれむことの うれしさに 身をば佛にまかすなりけり
そして、安楽は以下の辞世の歌を残しています。
今はただ 云う言の葉も なかりけり 南無阿弥陀仏の み名のほかには
この歌碑の近くに住蓮と安楽の五輪石塔が、ひっそりと佇んでいます。

住蓮と安楽の五輪石塔
現在、安楽寺は非公開となっていますが、春や秋には特別公開されます。
春は、ツツジやサツキが花を咲かし、秋には紅葉も見られます。
なお、安楽寺の詳細については、下記ページを参考にしてみてください。