京都の歴史一覧

積善院の人食い地蔵

京都市左京区の平安神宮の北に積善院(しゃくぜんいん)というお寺が建っています。 あまり有名なお寺ではないので、ご存知の方が少ないのではないでしょうか。 私が参拝した時も境内には誰もいませんでした。 もしかしたら参拝者がいなかったのは、境内に祀られている人食い地蔵が原因なのかもしれません。

攘夷実行の方法が検討された翠紅館

京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)の参道に翠紅館(すいこうかん)という建物が建っていました。 翠紅館は、もともと西本願寺の別邸でした。 幕末には、勤王の志士と呼ばれた多くの人物が、ここで会議を行っています。

長州藩邸跡と桂小五郎像

地下鉄京都市役所前駅の改札を抜けて、地上に上がると、京都ホテルオークラの大きな建物が現れます。 今では全く面影が残っていませんが、この地は、江戸時代に長州藩の屋敷が置かれた場所です。

金売り吉次の別宅跡・願王寺

京都の町を散策していると、細い路地の奥に小さなお寺や神社を発見することがあります。 一体、何のためにこんなところに建てたのだろうと思って、説明が書かれた案内板があるか見回すのですが、そのようなものは見当たらず、結局、何もわからないまま立ち去ることがほとんどです。 京都市右京区の妙心寺近くにある願王寺も、路地の奥にある小さなお寺です。 しかし、ここには由緒書があり、それを読むと金売り吉次ゆかりの地であることがわかりました。

あまりにも地味な明智光秀の塚

天正10年(1582年)。 本能寺で、主君織田信長を討った明智光秀は、その後、中国地方から素早く戻ってきた羽柴秀吉と天王山で戦います。 この戦いは、山崎の戦いと呼ばれ、光秀が秀吉に敗れたことで決着しました。

水戸烈士が眠る長楽寺

京都市東山区の円山公園近くに建つ長楽寺には、幕末、天皇を敬い外国人を日本から追い出そうという尊王攘夷(そんのうじょうい)運動が盛んだった水戸藩の関係者のお墓が多数あります。 この時期の水戸藩の活動は、明治維新に大きく貢献することになります。 ただ、当時活躍した水戸烈士たちは、幕末に命を落とした者が多く、あまり有名ではありません。 今回の記事では、長楽寺にひっそりと眠る水戸烈士たちのお墓を紹介します。